アドリブ

出 版 社: あすなろ書房

著     者: 佐藤まどか

発 行 年: 2019年10月

アドリブ  紹介と感想>

「アドリブ」というタイトルで、しかも音楽の話ということだったので、てっきりジャズについての物語だろうと思いこんでいました。あらすじを読まずに読み進める方なので、主人公は当初クラシックに打ち込んでいるけれど、それはきっと前振りで、どこかでジャズに目覚めるはず、と思いきや、ジャズの演奏を主人公が目にするのは物語の中盤過ぎだし、主人公の考えを深めるきっかけにはなったもののさして関わることもなく通り過ぎたので、さすがにこれはジャズの話ではないなとわかったのです。遅いってば。アドリブとは即興演奏全般を示す言葉で、ラテン語で「自由に」という意味です。自分は中学生の頃からジャズをかじっていて、アドリブについても理論書で学び、自分がジャズっぽいと感じる響きやフレーズが、ルートからの度数やスケールなどで「説明がつく」ことに驚いていました。あの頃、音楽理論を知ることで世界の秘密を手にしたような気分や高揚感もあったので、思春期とジャズの出会いの話をどこかで読みたいとずっと思っていたのです。残念。しかしながら、独学で楽器を覚えて好きなようにしか弾いたことがない自分にとって、この物語の主人公のように音楽学校でクラシックをきちんと学び、その技巧を高め、その道を究めようとする音楽生活は、まったく違ってはいるけれど、ここにも音楽の歓びや世界の発見があることに感じ入りました。いや、これこそが王道か。正直、前半は主人公の苦闘と逡巡に共鳴して参ってしまったのですが、ひとつのことを突きつめて追及していく姿勢に、なんでも中途半端だった自分の少年時代を引き比べて、頭が下がるとともに羨ましさを感じました。そして迷いながらもトンネルを抜け出し、開眼していく主人公の姿にカタルシスを覚えるのです。2020年、日本児童文学者協会賞受賞作。ひたむきに音楽に打ち込む少年の物語です。いいなあ、ひたむき。

イタリアのトスカーナに暮らす少年、ユージ。十歳の時に聞いたコンサートでフルートの音色に魅了されて、経験もないままに国立音楽院を受験した彼を学校が合格させたのは、その才能と将来を期待されたからです。日本食レストランに勤める母親との二人の暮らしは豊かではなく、そのフルートも安価な初心者用のもの。それでも努力を重ねて、居並ぶライバルたちとユージはしのぎを削ってきました。しかし、フルートを始めて五年が経ち、十五歳になったユージは、自分の将来を見据えなければならない時期にきていました。プロになって活躍できるのは、ごくわずかな人たち。このまま音楽を続けていてどうなるのか。ユージは自分の才能に自信が持てず、熱意や覚悟を持てなくなっていました。音楽を奏でる喜びが薄れて、楽しくなくなっているのです。音楽院は、音楽理論の勉強と演奏テクニックの修練ばかりで、個性をつぶすところではないのかと感じ、音楽が苦痛になり、苦行にも思えてくる。そんなユージの転機は、夏休みにフィレンツェで行われた二日間のマスターコースに参加して、スカラ座の首席奏者、マウロ・ビーニの指導を受けたことです。マエストロ・ビーニの創り出す音と響きに圧倒されただけではなく、ユージはその指導力にやる気を引き出されていきます。テクニックは客に音を届かせるためにある。音を楽しめ、そして客を楽しませろ。クラシックだってお客さんを喜ばせるエンターテインメントだ。マエストロの言葉が停滞していたユージの心を動かしはじめます。たった二日でフルートアンサンブルを仕上げて、音楽ホールで発表会をするという、大胆な企画にユージも乗せられて、その興奮に、フルートをなんのために、誰のために吹くのかという気持ちを新たにしていきます。目の前にふさがる経済的な壁。才能があるのに音楽を続けられないこともあります。それを越えていく熱意がユージの中に湧き上がります。周囲の人たちの温情に支えられ、その人たちにも喜んでもらいたいと思う。ならば、ミスなくきちんと仕上げられるよう、テクニックを磨かなければ。ユージの心の中で音楽を学び続ける動機が一本の線になり、繋がっていきます。ヤングオーケストラの選考に挑むユージが、やがて得るだろうとコンサートの高揚と限りない称賛と喝采を、溢れる音楽とともにイメージできる快作です。

完全に自由な状態で何かをはじめることはとても難しいことで、ある程度の制約があった方が進めやすいこともあります。ジャズのアドリブも「自由に」演奏するものだけれど、理論体系が構築されていることが、音を探す手掛かりになりました。最初の音の想像がつくわけです。割引クーポンを使用するのは安いからだけではなく、アラカルトだと自由すぎてメニューが決められないからという意見もあります(この例はなあ)。自由と制約は相反するものではなくて、制約を上手く利用しながら、自由に楽しむ、そんな心持も実現できるのではないかと思っています。クラシックの世界は、決められた中でその表現をより研ぎ澄ませていくものだと思います。好きな音符を自由に並べるのではなく、決められた音符を自由に楽しむことを、発見することの意味を思います。ユージの学友のサンドロが、バッハは感情的に演奏するものではなく、きっちりと譜面通りに、感情をあえて殺して完璧に演奏してこそ浮き上がってくる「美」なのだとユージに言う場面があります。しかし、ユージがそこで、クラシックの中の「アドリブ」を模索し、その場のノリも含めて、その瞬間の自分なりの音楽を聴かせることを志向しようと意識するまで、考えを深めていく成長がたのもしいところでした。音楽の歓びを描く児童文学作品は、学校のクラブ活動のレベルから、国際的な舞台で活躍する子どもたちが登場するハイレベルなものまでさまざまです。本書に通じるハイレベル系では、黒川裕子さんの『奏のフォルテ』が思い出されますが、優秀なホルン奏者の少年の物語は、本書とはまた違った趣きがあります。高い演奏技術を持っているからこその葛藤や挫折があり、そこから逡巡して自らが見出していくものの尊さもあります。そこには音楽に向き合う真摯な姿勢があって、やはり、ひたむきです。いいなあ、ひたむき。自分自身のひたむきさを疑うことも含めて。