出 版 社: 白水社 著 者: パドマ・ヴェンカトラマン 翻 訳 者: 小梨直 発 行 年: 2010年06月 |
< 図書室からはじまる愛 紹介と感想>
1941年。インドの都会であるボンベイ(ムンバイ)に住む医者の娘であるヴィドヤは、父に大学に行くことを許可されて、喜びに浸っていました。ところが、独立運動のデモ行進に巻き込まれ、一緒にいた父が白人警官に棒で頭を殴打されて大けがを負うという事件が起きます。父は一命を取り留めたものの、脳を損傷して、廃人になってしまいます。家族は仕方なく、父の実家である祖父の家に身を寄せることになりますが、それは、やっかいもの扱いされる苦しい日々の始まりだったのです。父のことを「愚物」と蔑まれ、ヴィドヤ自身も口うるさい伯母に、女中の洗ったものをもう一度洗わせられたり、いとこには学校でも意地悪をされたりと、なんとも「小公女」チックな古典的展開に突入します。これまでお嬢様として、なに不自由なく暮らしてきた少女の突然の不幸。父の回復は期待できず、大学に行く夢も潰えて、いつ意にそわない相手に嫁がされるかも知れない希望のない日々。そんな時、彼女は、家の敷地の中にあった祖父の蔵書がしまわれた図書室に通じる階段を見つけ出します。女性が入ってはならない、その禁じられた図書室で、『アイヴァンホー』や『自負と偏見』など、沢山の名作や美しい本の世界に夢中になることでヴィドヤは心を癒されていきます。そして、彼女には、もうひとつの出会いがありました。祖父の家に寄宿する素敵な青年がヴィドヤをかばい、好意を寄せてくれているようなのです・・・。
ということで、かなりコテコテな展開です。枢軸国が台頭し、インドにも日本軍が侵攻しようとしている危機せまる国際情勢。一方で、インドはイギリスからの独立を無抵抗主義のカンジーの指揮のもと推し進めつつある。インド人のアイデンティティからは、イギリス軍に従軍して国を守る、という行為も複雑です。果たして、インド人はこれからどちらに向かっていけばいいのか。文化も開明前夜で、女性の地位もまだ旧時代の閉塞状態にあります。お父さんが働けなくなっても、お母さんは自分で働くような育て方をされておらず、実家に頼らざるを得ない。15歳で嫁ぐのも普通だし、17歳だと婚期に遅れている、なんて、女性の社会進出はまだまだ遠い世界。ヴィドヤは辛い生活の中で、それでも図書室に通うことで、心だけは自由に解放されていきます。
『図書室からはじまる愛』というタイトルには、ややイメージを限定させられてしまうわけですが、原題である「階段をのぼって(Climbing the stairs.)」には、この時代に生きるヴィドヤの世界の広がりを想起させるものがあります。実際、窮状にいる少女が、イイ男に救われるというだけの話ではなく、彼女が自分の意志で世界を掴み取っていこう意志がここにはあります。それは男性上位の世界からの意識的な離脱でもある・・・といいつつ、得愛の甘さもまた充分にあるかな。古典的児童文学や典型的恋愛小説のカタルシスを留めつつ、少女の成長物語が、微妙なバランスで成り立っている作品です。インドという国自身の揺れ方もオーバーラップさせながら、というあたりが新機軸ですね。2009年のボストン作家協会賞と全米図書館協会「ヤングアダルトのためのベストブックス」に選出された作品です。