愛の妖精

La petite fadette.

出 版 社: 中央公論社

著     者: ジョルジュ・サンド

翻 訳 者: 篠沢秀夫

発 行 年: 2005年06月

愛の妖精  紹介と感想>

十九世紀初頭のフランスの田舎の村。兄のシルヴィネと弟のランドリは、双子として生まれました。繊細なシルヴィネと健やかで大らかなランドリはとても仲が良く、村でも裕福な家庭に育ち、他の子どもたちには「ふたっつ子」とからかわれながらも、この田園のコミュニティの中で敬われ、健全な少年に育っていきました。特にランドリは壮健で、寂しがる兄を家に残して早くに家を出て、農家や牧場の下働きをしながら、より逞しくなっていきます。そんなある日、兄のシルヴィネが道に迷って行方不明になるという事件が起こります。探しあぐねたランドリは、村はずれに住む魔法使いと称される気難しいファデばあさんに、兄の安否を占ってもらおうとするのですが、この兄弟の家を嫌うファデばあさんに断られ、途方に暮れてしまいます。そんなランドリに声をかけたのは、ばあさんの孫娘ファデット。フランソワーズという名前を持ちながら、人をからかってばかりのため、ファデット(小鬼)という仇名で呼ばれている村じゅうの鼻つまみもの。ランドリも彼女のことを嫌な奴だと思っていました。兄のいる場所を知っているという彼女が要求する「お礼」と引き換えに情報を得たランドリ。無事、兄は見つかったものの、ファデットが何を要求してくるのか、戦々恐々として、なるべく顔を合わさないようにするランドリ。果たしてファデットが何も要求してこないのを不審に思ったランドリは、ある晩、ついに彼女に尋ねます。怒ったのはファデット。彼女は恨みがましく、なんでお礼を要求しなかった自分を避けるだけで、友達のように接してくれないのさ、と文句をつけます。そして、ランドリに、村祭りの日に、一日中、自分の踊りの相手を務めるように約束させます。みっともない外見のファデットとしか踊れないなんて。皆の笑いものだし、何を言われるかわからない。ランドリは暗澹たる気持ちになるのですが・・・。

さて、この後の展開が見ものです。ランドリは村の美少女マドロンと踊りたいと思いながらも、ファデットの踊りに付き合わされます。このファデットの踊りの素晴らしいこと。しかし、あまりのボロボロの格好で大胆に踊る姿に、村人からは悪態をつかれる始末。見かねてファデットをかばうランドリは、とまあ、このあたりをきっかけにして、二人の仲は微妙な感じになっていきます。モジャモジャの頭、流行遅れの汚い格好、真っ黒で、ガリガリの腕をした、この「こおろぎ」とも呼ばれる少女ファデットが、皆から避けられているのは、頭の回転が滅法早くて、機転の効いた言い回しで、人を言い負かしたり、からかったりする、小賢しくも、小憎らしいところがあるからなのです。ファデットは、自分が醜く、人から嫌われることを良くわかっています。つい、人をからかいたくなってしまうのも、相手にされない寂しさからなのでしょう。ランドリは、ファデットの心の中にある美点に気づき、人にわざと嫌われることをしないように説きます。ファデットは、ランドリの忠告を素直に聞き入れ、やがて、沢山のことをランドリと話すようになります。二人がだんだんと結びついていく、その心の機微が実に清新で、得恋の予感に満ちた甘さを湛えています。やがて二人の心は通じ合い、とりわけ、ランドリの方が、彼女にメロメロ (死語)になっていくのです。そして、いまひとつ自分に好意を抱いているのかどうかわからないファデットに拗ねてみたりするのです。ファデットはどんなに前からランドリを好きだったか、どうして、あんなにツンツンしてランドリに嫌がらせをしていたのか、それが全部、自分に注目して欲しいからだったことを告白します(この長台詞がなかなかいいのだなあ)。身なりを整え、態度を改め、美しく変わっていくファデット。でも、家柄の違う二人の仲は人前では秘密。因習的な田舎の村で、偏見や障害を越えられるのかどうか。果たして二人の恋の行く末は、と、実に面白い展開は続きます。

1849年に書かれたジョルジュ・サンドの『愛の妖精』。サンドの田園小説(他にも『魔の沼』とか『棄子フランソワ』など)の中でも最高傑作と言われる本書です。やはり、この二人の心がうち解けていくさまと、人の心を理解していく少年少女の成長ぶり、ファデットの持つ、本当の賢さや美しさが衆知となることで、幸福な結末を迎えられることにたまらない喜びを感じてしまいます。未読の方には、是非、この決して古くない古典的名作をお勧めしたいところです。この面白さは、時代を越えていて、現代でも色褪せないものだと思っています。角川版(小林正訳)、岩波版(宮崎嶺雄訳)で読んだことがあったのですが、今回は篠沢秀夫さんの旺文社版をもとに中公文庫から再発されたものを手にとってみました。もとは1960年代の訳ですが、手が入っているようで、かなり読みやすくなっています。ファデットの言葉遣いや蓮っ葉な雰囲気は、角川版の小林訳が好きでした。ちょっとした訳語のニュアンスで随分と印象は変わるものですね。あの南本史さん訳の児童書版があることも知り、読みたくなりました。