あの花が咲く丘で、また君と出会えたら。

出 版 社: スターツ出版

著     者: 汐見夏衛

発 行 年: 2016年07月

あの花が咲く丘で、また君と出会えたら。  紹介と感想>

第二次世界大戦から70年が経過した「現代」から、中学生の女の子が1945年の日本にタイムスリップする物語です。こうした戦時下へのタイムスリップものには多くの類似パターンの作品がありますが、本書がユニークなのは、未来人としてのアドバンテージが一切、生かされないという点です。突然、なんの準備もないままに戦時中にタイムスリップしてしまった、歴史を真面目に勉強していたわけではない中学生が、どこまで、その知識を駆使して戦時を生き抜けるか。あるいは、多くの人をその戦禍から救うことができるのか。そうした方向性に物語が発展しないのが面白いところで、主人公は一切、未来人としての力を発揮しないし、歴史を改変することもなく、タイムパラドックスとも無縁なのです。主人公は戦時下に迷い込んでしまった無力な孤児であって、本来はそこで行き倒れ力尽きるところが、親切な人たちのおかげで、なんとか居場所を得て生き延びることができたというラッキーな状況です。現代の中学生の等身大の感性は、戦争末期の大空襲が続く東京を体験し、真の恐怖を感じとります。究極の状況の中で抱く気持ちは、愚かな戦争によって奪われる命への慟哭です。ここが無惨な狂気の世界であることを、主人公である現代の中学生の「普通の感受性」が訴えます。戦時下にタイムトリップした女の子が特攻隊員に恋をするピュアなラブストーリーとして中学生人気の高い本書ですが、反戦への強い祈りもあります。それは高邁なイデオロギーでも、思想でも、理想でもなく、大切な人を大切にしたいというごく普通の願いです。海外の戦禍がニュースから伝わってくる現在(2023年10月)、戦争の当事者になることの恐怖や哀しみを感じとらせる本書が、中学生に与えてくれるものを考えます。戦地の人たちが、今、何に怯え、何を恐れているのか。現在の日本の平和が当たり前ではないことを噛み締めつつ、強い意志を持って、それを維持していく気持ちが、子どもたちの胸に灯ることを願います。

イライラの百合。勉強は大嫌いだし、成績なんてどうでもいい。先生にも反抗的だし、学校で上手くやろうなんて気もありません。シングルマザー家庭で母一人、子一人で育ち、お母さんとも衝突しがち。今日も学校での態度を注意されて、喧嘩になり、制服のまま家を飛び出した百合が、たどり着いのは住宅街の外れの裏山でした。幽霊が出ると噂の、戦時中の防空壕だったという崖の穴の中で、一晩を過ごそうと考えた百合でしたが、暗闇の中、妙な光に誘われて進んだ入り口の向こうには、入った時とは別の世界が広がっていました。広い野原。木造の家や看板ばかりで薄汚れた街並み。この見知らぬ世界で、具合が悪くなった百合を助けてくれたのは軍服姿の佐久間彰(あきら)と名乗る青年でした。彰に連れられ、鶴屋食堂というお店で休ませてもらうことになった百合は、新聞の日付から、ここが昭和二十年、終戦の年である1945年なのだということを知ります。驚愕しながらも状況を把握した百合は、行く場所のない身の上を察してくれた店主のおかげで、食堂に住み込みで働かせてもらうことになります。食堂には、近くにある軍の飛行場から兵隊たちが通ってきていました。彰もその一人であり、彼らが出撃を待つ特攻隊員であることを百合は知ります。責任感が強く実直な人柄である彰に次第に惹かれていく百合。空襲は激しくなり、爆弾で破壊され、焼夷弾で燃やされた町を逃げまどいながら、百合はこのひどい戦争を早くやめてほしいと心から願います。そんな百合を励ますように、彰は、この国や大切な人たちを守るために自分が闘いに征くのだと言います。自分の命を投げうって、国を守ろうとする輝を百合はなんとか止めようとしますが、彰の決意は堅く、ついに出撃の日はきてしまいます。強く優しい純粋な青年の熱い心に触れて、百合もまたその魂を揺さぶられていきます。百合はここから現代に戻ることができるのか。彰の命運はどうなるのか。息もつかせない展開は物語の終局へと進んでいきますが、それは新たな始まりでもあったのです。

現在(2023年)、ティーンに大人気の、と言えば汐見夏衛さんであり、本書がそのデビュー作にあたります。児童文学はもとより、ライトノベルさえリアルなティーンに読まれなくなったと言われる中で、特に女子人気の高さということではスターツ出版作品を見逃すことはできません。児童文学やYAに欠けている、その年代層の歓心を捉えるものがここにはあります。一方で、ここにはないものや、キャラクターや物語の在り方について、つい語りたくなってしまうのは無粋なことで、それぞれのジャンルの美点を愛すべきと思うところ。一方で、戦時下のメンタリティを否定しつつも、この美しい物語の背景になっていることは、坂口安吾氏が言うところの美的ストイシズムへの耽溺があり、危険な香りが漂います。愛する人を守るために死地に赴く青年の心映えが、現代の少女に与えるインパクトは絶大で、主人公を通り越して、読者の琴線に触れることも想像に難くないわけです。特攻攻撃は自爆テロと同じだ、というごくフラットな感覚を現代人である百合は持っています。土壇場で翻意して、特攻から逃げ出す青年も描かれますが、さもあらんところです。一方で、百合が愛する彰は、自らに課した使命に殉じてしまいます。どうせすぐに戦争は終わり、戦時下の価値観がひっくり返ることを未来人である百合は知っています(ここはパラレルワールドで実際の歴史とは違う世界線なのではないか、なんて疑念も挟まれないところも潔いです)。現代の道義から、彰に求められるのは「みっともなくていいからケツをまくる」ことだったかも知れません。インド映画的世界観が救いになってしまうことも、考えさせられます。美しくて、尊くて、泣けてしまう。平和を求める思いと、その裏腹にある、物語に耽溺させられてしまう蠱惑的な美しさをどう見定めるべきか。ここは、学校図書館司書さんにガイダンスしていただいて、是非、子どもたちに色々な物語の世界を見せてもらえると良いなと思います。面白さで言えば、例のオックスフォード史学科の学生たちが、第二世界大戦時にタイムスリップして、灯火管制下のロンドンで大空襲を体験する『ブラックアウト』(コニー・ウィルス)は読むべしです。戦争で荒んだ大人たちばかりが出てくるウェストール作品もまた、美しくない時代を生き抜く人間たちの魅力に溢れています。なかなか中学生女子に求められないだろうな、と思いつつ書いています。