月神の統べる森で

出 版 社: 講談社

著     者: たつみや章 

発 行 年: 1998年12月

月神の統べる森で  紹介と感想>

東逸子さんの美しい装画と挿絵に彩られた神秘的で深遠な物語は、喪失感にうちのめされるような悲痛さと、ここから始まる未来に高鳴る気持ちを二つながらに抱かされます。昼と夜。日と月。憎しみと赦し。両極にあるものが混じり合い、これまでの価値感が混淆し覆されていきます。縄文時代が終わり、弥生時代が始まろうとしている時代の端境期。神々を畏怖し、自然の恵みに感謝を持って狩猟や採集を行なってきたムラの人々の暮らしの脅威となったのは、海の向こうからやってきた農耕を行う人々です。彼らは土地を囲いクニを作り、他者を排除して、後先を考えずに動植物を取り尽くしてしまいます。二つの異質な文化が交わる時、ここに対立が生じます。それでもムラの人々は、礼を尽くし話し合うことで彼らと共存し、この問題を解決しようと考えていました。若くしてムラの長となったアテルイは、幼なじみで従兄弟でもある美しい巫者シクイルケを伴い、海からきたヒメカの人々のクニに談判に赴きますが、相手にされず、捕らえられ、辱めを受けます。生まれながらに月の神と同じ白い髪を持つ巫者シクイルケは、その力を身に宿しており、夜を待ち、その呪力で、からくも敵の包囲を突破しますが、怪我を負い、力を使い尽くしてしまいます。困窮するところを、川の中から浮かびあがる美しい女性のカムイ(神)に助けられて、ひとまず洞穴に身を潜めることになりますが、ここで運命の出会いが二人に訪れます。怒涛の展開で始まる胸躍る物語は、やがて真の主人公の登場によって、より加速していきます。神秘に満ちた魅力的な世界を背景に始まるジャパニーズファンタジーの傑作です。

森の少年、ポイシュマ。父と兄姉と森で暮らす彼は、あまねく自然に存在するカムイ(神)に感謝を捧げながら暮らしています。動物や魚を食べる時には、その魂に祈り、あの世に送り出すことが彼らの習慣でした。ポイシュマもまた、心をこめた、けずり花で魂を送ります。十三歳となったものの、未だ父親に狩りをすることを許されていないことをやや不満に思ってもいましたが、ついに父から許可を得られる日がやって来ます。森のカムイ、シマフクロウを最初に撃つこと命じられたポイシュマでしたが、父や姉たちの態度がどこか悲しみを帯びていることにも気づきます。その理由はやがて明らかになります。森の中を川をそって下り、遠くまで歩き、まだ入ったことのない森へと踏み込んだポイシュマは、猛毒のマムシに噛まれ苦しんでいるところを、二人の男性に助けられます。洞穴に身を隠していたアテルイとシクイルケです。いままで自分の家族以外の人間を見たことがなかったポイシュマは驚きます。逆にシクイルケは、ポイシュマのひと房の銀の髪や翡翠の色の目に、彼が「星の息子」と呼ばれる尊いカムイの面影を宿していることに気づき、考えを巡らせます。シクイルケは神の託宣を聞き、アテルイにポイシュマの父親に会うようにとその意志を託します。手負いのシクイルケを残していくことが気がかりながらも、アテルイはポイシュマを伴い、その父を訪ねることとなります。広い世界を知らないまま、守られた世界で育てられていたポイシュマの秘密が、その父親からアテルイに語られる時、大きな別離がポイシュマに訪れることになります。人々がいさかいを乗り越えて、心安らかな暮らしを取り戻すために、「星の息子」であるポイシュマはやがて明星として光を放つべき命運にあります。しかし、敵の向こうにいる憎しみや怒りと和解し、破壊ではなく創造を導き出していくには、超えるべき壁があり、ポイシュマはその試練に立ち向かわなければならないのです。大きな時代の変化を迎える時、神ならぬ人はどう生きていくべきなのかか。ポイシュマを通して、読者はこの世界の鳴動を体感していくのです。

物語に描き出された縄文の人たちの生活信条や自然信仰が非常に興味深い作品です。神が司る自然に対する畏敬の念。そこに人間の世界観や死生観が凝縮されています。万物はいかに流転しているのか。獲物になった動物たちはカミであり、感謝をもってカミの国に送ることで、再びこの世界に戻ってきてくれる。作者の想像力は、人間が自然を壊さずに共生していた縄文時代に理想を見出し、未来への分岐点である現代を照らしていきます。また太古の人間にとって重要であったはずの月の神話が、古事記や日本書紀に、断片的にしか伝えられていない理由に、作者は物語を通じてアプローチしていきます。シリーズ第一巻の本書はその幕開きです。ポイシュマの物語を支えた、月の神の清らかな息子シクイルケと、勇敢で正しい心のムラの若き長アテルイ。タイプの違う二人が互いを思いやる関係性の麗しさや、それぞれ自分の使命を果たすために奮迅する姿が胸を打ちます。人は別れを経験して大きく前に進んでいくものです、などと、それが物語の常套であるから当たり前のように言うのですが、その痛みの大きさは、少年の器には大きすぎるし、大人だって大切な人を失えば立ち直れないほどのものです。別離の痛烈な傷みを感じることは生きることそのものでもあるのですが、受け入れた向こうに希望が見えて欲しいと願います。失われたさきにある未来。恩讐を越えて、その先に見出されれるものを思います。