恋とポテトと夏休み

Eバーガー1

出 版 社: 講談社

著     者: 神戸遙真

発 行 年: 2020年04月

恋とポテトと夏休み  紹介と感想>

高校一年生の夏休みのことなんて思い出したくもない、なんて大人がいることを子どもの皆さんは俄かに信じられないかも知れません。中学生からすれば、どんな楽しい毎日が待っているのだろうと期待こそすれ、どんな苦い気持ちを味わうのだろうかと暗い予感を抱くことはない未来でしょう。後悔は、何か失敗をしたことよりも、失敗を恐れて何もしなかった時の方が大きいものです。要は高校一年生の夏休みを思い出したくないのは、何もしなかったという空白を見つめることになるからなのです。そんな反省を込めて、学生の皆さんには、とりあえず何かにチャレンジすることをお勧めします。部活が手っ取り早いですが、運動や表現系が苦手だったり、ボランティアも性に合わないのなら、アルバイトをしてみることも良いかと思います。働くことは、ただお金を稼ぐことだけではないという真理を身をもって体験できるのがアルバイトです。ただ、まあ嫌な思いもします。接客業なんて特にそうです。同じ働く人間として大人に接する時、子ども扱いされることはなく、社会人としての責任と自覚を求められてしまうものです。本書は、夏休みにハンバーガーショップでアルバイトをすることになった高校一年生の女子、守崎優芽(ユメ)の奮闘を描きます。なにもやることなかったはずの夏休みが、偶然の成り行きで、大きく変わっていきます。自分の壁にぶつかることもあり、楽しいだけではいられない日々ですが、そこに仄かな恋もあったりと、青春全開で突っ走ります。高校時代の夏休みをムダに過ごした自覚のある大人の方は落ち込むこと必至の要注意作品ですが、読書による追体験もまた楽しいところです。火星に行ったことがなくたって、火星気分を味わえるのが読書です。2021年の児童文芸家協会賞受賞作です。

高校受験に失敗して志望校に入ることができなかった優芽(ユメ)は、思い描いていた高校生活を送ることができないまま、一学期を終えようとしていました。志望校を見学に行った際に演劇部の活動紹介に刺激を受け、合格したら演劇部に入ろうと決めていたのに、入った高校には演劇部はなく、何も部活に入らないまま無為に一学期を過ごしてしまったのです。大人しい性格で、特に親しい友だちもできないまま迎えようとする優芽の夏休みには何も予定がありません。ところが、一学期最後の日の帰り道、偶然、駅で志望校の演劇部の部長を優芽は見かけます。優芽が演劇部に入りたいと思ったのも、部活紹介をしてくれた彼の爽やかで優しげな態度と、劇で悲壮な役を演じる、その豹変ぶりに、人は演技で変わることができるだと感化されたからです。思わずあとをつけた優芽は、彼のバイト先までついていってしまい、そこでバイト募集に応募してきた子と勘違いされ、という成り行きで、憧れの先輩と一緒に、ハンバーガーショップチェーン、Eバーガーでのアルバイトを始めることになるのです。引っ込み思案な自分に接客業ができるのかと悩みながら、覚えが悪いことを、同じ高校に通うバイト仲間の無愛想な源くんに叱られつつ、緊張のうちに日々は過ぎていきます。リーダーの四十代の青江さんや、外国人のガルシアさん、高校を中退したという、ちょっと派手な萌夏さんなど、これまで関わることがなかった境遇の人たちとも優芽は触れあいます。困ったお客さんがいたり、思わぬ温かい交流があったり、憧れの先輩にときめいたりと、挫けそうになりながらも困難を克服していく、この夏の経験が優芽を変えていきます。そんな青春真っ盛りのアルバイト物語なのです。

「人と一緒に働く」ことの歓びについて考えさせられます。職場の人間関係は難しいもので、それで仕事がイヤになることがあったり、この仲間たちだから乗り越えていける、なんて充足感を味わえることもあります。側(はた)を楽にすることが「働く」の語源という話もありましたが、周囲との関係性をどう築けるかが、仕事をすることの重要な要素であることを、社会人の方たちはご存知だろうし、それが楽しかったり、たまにウンザリすることもあるのではと思います。優芽は職場体験をしながら、学校では味わえない連携プレーを体感していくことになります。どんなマインドやスピリットを持って働くか。これは一緒に働く人たちの仕事への矜持をリスペクトすることでもあります。これを体感できるだけでもアルバイトをする価値はありますね。一般論としては、そんな環境や風紀の良い職場だけではないものですから、親がアルバイトをすることを心配するのも当然かと思います。それでなくても優芽のお母さんは、優芽の門限を7時に設定しているような厳しい人です。このお母さんの過保護が優芽の性格形成に影響していることも見て取れます。優芽の自分を変えたいという願望には、お母さんとの関係性に遠因がある、なんていうのも、母と娘の難しい関係を描く昨今の児童文学のトレンドです。初めてお給料をもらって、自分の働きを認めてもらったことに震えるほど嬉しくなるあたり、とても良い場面なのですが、その承認願望もちょっと考えさせられます。お母さんにバイトをしていたことがバレて、続けられそうになくなった時、チームEバーガーの皆んなが協力して力になってくれるあたりも見どころです。このEバーガー、お店を一つのオーケストラに見立てていて、店員はプレイヤー(演奏者)と呼ばれています。「働くみんなでハーモニーを奏でよう♪」というキャッチフレーズもあります。心のスイッチを入れて、優芽は自分をオーケストラの一員に変えていきます。お母さんに優芽が、自分の意思を毅然と告げられようになるまでの成長を是非、見守っていてください。優芽の恋の行方は次巻に持ち越しですが、自分の高校生時代を思い出すと、火星よりも遠い世界の話だなあと目眩を覚えます。