木箱にのった漂流

ADRIFT.

出 版 社: 文研出版

著     者: アラン・ベイリー

翻 訳 者: 久米穣

発 行 年: 1986年09月

木箱にのった漂流  紹介と感想>

子どもたちが遭難する物語は数多くありますが、児童文学として自分が求めるのは、本作品のように、過酷な体験を通じて、精神的に成長していく子どもの姿なのだなと、あらためて実感しました。ただ、困難を乗り越えるだけではなく、それによって、自分を見つめ直し、これまでのあたりまえだった日常を捉えなおす。異世界ファンタジーで語られる「行きて帰りし物語」と同様のことが、被災や漂流などの特別な体験をすることで得られるように思えます。それもこれも、無事に帰ってこられたのなら、が前提ですが。当事者は、今を生きのびることに必死です。命の危険にさらされていて、一瞬たりとも気を抜くことができない、そんな状況に置かれています。しかも、本書の主人公である九歳の少年は、五歳の妹を連れているのです(それと猫もいます)。自分どころか、妹を守らなければならないという使命を負わせるには、年齢的にもかなり過酷な状況でしょう。海辺で偶然見つけた大きな木箱の上に乗ったまま、外海に流され漂流することになった兄妹と猫一匹。1980年代初頭に書かれたオーストラリアの物語です。もちろん、携帯電話なんてなくて、発煙筒もないので狼煙を上げることだってできません。どうやっても救援を呼ぶことは不可能。さて、この窮地を少年はどうやって乗り切ったのか。自分を見つめ直すことで、強いスピリットを養い、妹を支えた少年の冒険譚です。

オーストラリア。夏の休暇に家族と一緒にシドニー北の海辺の町に遊びに来ていたフリンは九歳の少年です。五歳の妹のサリーとネコのネプを連れて、海岸で遊ばせていたところ、大きな木箱を見つけます。沖の船から流れてきたのではないかと思われるその箱は、海賊船の宝箱でもなんでもない、ただの空箱でした。ちょっとした小屋のようにして遊べるほどの大きな箱。それが浅瀬で浮き上がったので、海賊船に見立てて、箱の上に乗って、調子にも乗って遊んでいたところが、次第に海に流されていることに二人は気づきます。箱から降りて海を泳いで戻ろうにも猫が一緒です。しかたなく、二人と一匹は箱の上で、岸から次第に離れていく状況に甘んじなければならなかったのです。沖に出てしまい、岸はぼんやりとした線のようにしか見えなくなります。やがて夜になり、星も見えはじめます。助けを呼ぶ手段もなく途方に暮れる二人。その星明かりがいつの間にか消えたのは、雨雲がかかってきたからです。あらしは回避できたものの、長い夜を越えて迎えた朝、霧が晴れたむこうに見えたものは、大海原の真っ只中で、見渡すかぎりの水平線でした。すれ違った大きな船は人の気配がなく、二人の存在に気づきません。乾きに襲われ、お腹を空かせた妹の、希望をなんとか繋ぎとめようと励まし続けるフリン。箱の周囲を大きなサメが徘徊し始めます。諦めてしまいそうな気持ちに抗って、フリンは木箱の船にシャツで帆を張ります。フリンが、遠くに陸を見つけた時には、二日目の夜を迎えようとしていました。日は沈み、寒さが迫り、風の様子が変わって、あらしがくることをフリンは予見します。まだ陸は遠く、絶体絶命の状況が続く中、それでも希望を捨てず、フリンは妹を守り、この難局を乗り切ろうとします。決して望んだわけではないこの冒険が、少年の心を強く鍛え上げていきます。

やはり面白いのは、物語を通じて続くフリンの述懐です。この夏の休暇にフリンは不満を抱いていました。親戚の家に遊びにきたのは、家に経済的余裕がないからです。そこには父親が農場経営に失敗して、町で仕事をするようになった背景があります。遊び相手もおらず、まとわりつくわがままな妹の世話をしなければならないこともそうですが、父親が農場の頃のようにおおらかな性格ではなく、町での仕事ですっかり陰気な人に変わってしまったことにフリンは失望していました。しかし、フリンは、この遭難ん中で、困難な状況に追い込まれるたびに「パパだったら、ここでどうしただろう」と考えていたのです。かつて山火事の延焼に家が襲われた時、父親がどんな勇敢に行動したか。そして、フリンはこの苦境で、妹を心配させまいとなだめすかしながら、父親が失業しながらも、どんなふうに自分たち家族を支えてきたか、その苦衷にも思い至ります。妹のサリーについても、わがままで勝手な子だと自分が思い込んでいただけだとフリンは気づかされます。心にひっかかっていた学校の友だちとのトラブルだって、この状況からしてみれば、なんでもないことです。あたりまえの平穏な日常の中にいた時に、気づかなかった大切なことをフリンは学んでいきます。どんな苦しいことでも耐えて、乗り越えていかなくてはならないという、決意を主人公が誓う物語です。本書のあとがきで、訳者は、このオーストラリアの大自然の中で闘う子どもの物語を読むであろう、「ひとりでゲームで遊んでいる」日本の子どもたちに向けてメッセージを送っています(それは、2023年現在、50歳前後になる人たちです)。ファミコンの登場は1983年で、最初の「ドラゴンクエスト」が発売されたのは、この1986年の5月です。冒険物語からテレビゲームへシフトする時代(まあ、とっくに活字から、コミックやアニメが子どもたちの関心の主流になっていましたが)。もはや冒険は日常でも、物語ですらもなく、ゲームの中で求めるものになっています。社会における物語の位相の変化も興味深いところですね。