月と珊瑚

出 版 社: 講談社

著     者: 上條さなえ

発 行 年: 2019年07月

月と珊瑚  紹介と感想>

現代の沖縄の子どもたちの姿が描かれている物語です。他の県ではなく、沖縄であることの特異性がふんだんに盛り込まれています。例えば、かつて地上戦の惨禍があった島であること。米軍基地がいまもあること。スピリチュアルな感覚が今も息づいている場所であること。それは旧来からの沖縄の物語でも目にしてきたものです。この物語では、さらに辺野古問題やオスプレイ、子どもたちの貧困率が他県よりも高いことや、成人式が荒れがちなことなどにもスポットが当てられ、沖縄の豊さと貧しさと悦びと哀しみが子どもたちの目を通して描かれていきます。で、それでも沖縄はいいところだと、都会からきた転校生にも思ってもらいたいという主人公の願いのように、沖縄ラブにあふれたお話なのです。主人公の珊瑚(サンゴ)は勉強ができず、漢字もろくに書けない子で、そんな彼女が漢字の練習のために日記をつけるという体で語られていく物語。次第に漢字が増えて文章が巧みになっていくアルジャーノン状態なのですが、活き活きと語られていく他愛のない日々が愛おしく思えます。彼女を取り巻く周囲の子たちの心根もまた良し。やはり伸びやかで都会の閉塞感から開放された憧れの場所ではあるのです。その背景にある悲しみを知ることで、沖縄への憧れはさらに深まっていくような気がします。

珊瑚は小学六年生。お母さんは福岡の美容院に働きに行っているため、ルリバーと呼んでいるおばあさんと二人で暮らしています。酒場で沖縄民謡を歌う歌手であるルリバーの肝いりで、珊瑚も沖縄民謡を学んでいますが、なかなか身が入りません。祖母と猫一匹とのアパート暮らしは、けっして豊かな生活ではなく、スマホを買ってもらうこともできないし、子ども食堂のお世話になることもありますが、概ね楽しく暮らしています。そんな珊瑚のクラスには都会からの転校生が二人います。昨年、東京からきた詩音と、この春、大阪からきた月(ルナ)です。勉強ができない珊瑚を馬鹿にしたり、辛辣なことばかりを言う詩音。一方で月は男の子かと思うようなカッコいい容姿をした女の子で、珊瑚は、宝塚歌劇団やアニメのオスカル(『ベルサイユのばら』に登場する男装の麗人)のようだと思い、憧れを抱きます。高級な高層マンションに住む月と貧しい自分をひき比べて、寂しい思いをすることもありますが、それでも月と次第に親しくなっていくことが嬉しく、月に沖縄を好きでいて欲しいと珊瑚は願うのです。ナチュラルな沖縄っ子たちと転校生たちの視座から見た沖縄観が巧みに交わされて、そこから人としての大切なものを導いていく流れが実に見事な物語です。作者の上條さなえさんには『あだ名はシャンツァイ』という、過酷な教室と、そこで闘い続ける子どもたちを描いた秀逸な作品がありますが、ここの教室はまったく別の空気感で、ちょっといいんですね。なかなかニクいことを言う子どもたちが素敵なのですよ。

珊瑚はルリバーの本名を知りません。浅丘ルリ子からとったという芸名からルリバーと呼んでいますが、ルリバーもまた自分ののことを孫にも秘密にしていたいようなのです。そこにはルリバーの悲しい過去があって、それは沖縄の持つ貧しさがもたらしたものです。珊瑚もまた豊かとは言えない暮らしをしていますが、現在の自分につながるルリバーの過去を知り、色々と考えていきます。衣食住にも事欠く絶対的な貧困があった時代から、相対的な貧困が問題視される時代にシフトしています。大らかな珊瑚は、貧しいことをさほど気にはしていなかったのですが、経済的に豊かな友人たちと関わることで、恥ずかしいと思いはじめます。ただ、珊瑚はもっと素敵なものを持っているし、大きなラブに満ちている子なのです。社会的な格差が人の心を、特に無力な子どもを傷つけていることについては考えていくべきだし、現実にアクションを起こして変えていくべきテーマですが、それはそれとして、豊かな心を失わない主人公の明るさには読者もまた照らされると思います。ところで珊瑚にはお父さんがいないことが作中で触れられていなかったような気がします。「成人式で暴れない」と珊瑚の同級生の男子が決意するあたりも、前提となるスタンダードのブレが甚だしいのですが、それも気にするようなことではないのです。このあたりで疑問符が浮かばなくなったら、自分の読書も次の次元へ進めるような気がします。物語は読者の数歩先を走っているぐらいが素敵だと思います。