水のしろたえ

出 版 社: 理論社 

著     者: 末吉暁子

発 行 年: 2008年06月

水のしろたえ  紹介と感想>

非常に安定感のあるジャパニーズファンタジーです。ラストが駆け足気味で、もう少しページがあってもいいのに、と思わせる終わり方ですが、その余白ゆえに、想像で楽しめるところもあるし、もっと読んでいたいと思うほどの魅力ある物語です。時は平安時代。「水底の国」から地上にやって来た娘、タマモは、駿河の海辺で遊んでいるうちに、松の枝にかけておいた「水底の国」に戻るための衣、水のしろたえ、を彼女を見初めた国守に奪われ、しかたなく人間の世界に滞まることとなります。そんな「羽衣伝説」のように始まる物語。時は流れ、国守と夫婦になったタマモは、娘を産みますが、産褥で亡くなってしまいます。タマモの娘である真玉は、「水底の国」の民と人間の血をひく半人半妖です。真玉は母を写した薄く青みがかった眼と白い肌をもつ美しい娘ではありますが、とりたてて特殊な能力を授かっているわけではなく、なんら人間と変わりません。ただ、水を強く恋しく思う気持ちがあることと、カッパの仲間のような外見をした水の中を自在に移動する「水底の国」の番人、ギョイと会話をすることはできます。ギョイは、水のしろたえ、とともに真玉が「水底の国」に一緒に戻る日まで、自分も故郷に帰ることができないため、真玉を守り、時に、その特別な力を姫に貸し彼女を助けます。物語は、歴史上の事件に沿いながら、当時の政変や情勢に翻弄される人々を描き出します。その中で真玉は、あくまでも人間として、真摯な気持ちや、聡明さを持って、振りかかる困難と対峙していきます。芯がしっかりとしていて、背筋の伸びた真玉のキャラクターと、丹地陽子さんの端正なイラストが清新な魅力を湛えている一冊です。

桓武帝の御世。都で高官を賜っていた真玉の父は、二度目の蝦夷征伐へと派遣されることとなります。父を深く愛する真玉としては心配でなりません。そんなある時、戦地で父が亡くなったらしいとのこと、そして、敵前逃亡の汚名を着せられているとの報が届きます。たしかに、先の蝦夷討伐で、怪我を負ったところをエミシの女性に救われたことから、父は、ただエミシを悪者と考えて根絶やしにすることに疑問を感じていました。しかし、敵前逃亡したとは、一体、どんな経緯があったのか。反逆者の娘として追われる身の危険を感じた真玉は、乳母とともに屋敷を離れます。真玉父娘に恩義を感じている片耳という元盗賊の頭目の少年に助けられ、男の子のなりをして、玉丸と名乗って身を隠しますが、やはり気になるのは父のこと。その行方を探るため、真玉は、凱旋してきた征夷大将軍、坂上田村麻呂に謁見しようと企てたり、東国から連れてこられたエミシの部族長アテルイと会ったり、色々な事件に遭遇します。また、桓武天皇に代わり即位した平城天皇の御子、高丘親王の窮地を助けたことから、真玉は信頼を得るのですが、ただし、それは、身を欺いた男の子の玉丸としてのこと。時は、政変の嵐が吹き荒れ、政権をめぐって、上皇と天皇が争う、後に薬子の乱と呼ばれる事件が起きます。高丘親王もまた、そこに巻き込まれざるをえなくなる。政治的な策謀が渦巻く都を舞台に、父を失い、家を追われ、男の子に身をやつした真玉が、時として、ギョイの力を借りながらも、人間として強く生きて生き抜いていく姿が爽やかです。

さて、水のしろたえ、は、一体、どこにあったのか。これは、真玉をめぐるもうひとつの大きなテーマです。「水底の国」の民の血をひく真玉は、母が帰れなかった故郷に帰るためのツールである、水のしろたえ、を探していました。それが、どこに隠されていたのか。真玉には、ひとつの疑念がありました。真玉にとって最愛の父は、しかしながら、母から、水のしろたえ、を隠し、その自由を奪って、無理に地上にひきとめた咎人なのではないか。そして、結果的に母は故郷に帰れないままに死んでしまったのだ。父は母を愛していたとはいえ、母の気持ちはどうであったのか。このあたり、かなり危ういところが、ぐっと突きつけられています。いわゆる「異類婚礼譚」には、ギリギリのルールがあります。だいたいが、うっかりと約束を違えたために破綻してしまうような関係性。異類の男女に、本当に愛情があったのか。そう深く結ばれていたとは思えないのがパターンです。半人半妖の異類混血の娘としては、そこを追求していくと自分の存在自体がけっこう揺らいでしまうのです。果たして、自分の両親の間にあった関係性はどのようなものであったのか。やはり「羽衣伝説」における天女は、一方的な求愛によって、拉致された被害者ではないのか・・・。というような疑念が、物語の最期に鮮やかに解決されてしまうのが、本作品の素敵なところです。ポイントは強い「意志」です。史実の事件を踏まえて、坂上田村麻呂や、薬子、高丘親王らが登場し、そのキャラクターが個性的に描かれ、また日本古来のファンタジーである羽衣伝説がそうした時代背景の中に溶け込みます。父や母を案ずる気持ち、自らを省みず、出会った人々の行く末に心を痛める真玉の素直で繊細な感性もいとおしい。300ページ程度の短い作品の中に色々な要素が入って、それが複雑なハーモニーを奏でる。さすが児童文学の名手、末吉暁子さんの筆の冴えを実感するところです。