龍の子太郎

出 版 社: 講談社

著     者: 松谷みよ子

発 行 年: 1960年月

龍の子太郎  紹介と感想>

松谷みよ子さんが亡くなられる数年前にお話しさせていただく機会があって、かつてないほど緊張した記憶があります。何分にも自分が物心つくころから家にあった本の作者であり、その作品に震わされてきた読者としては、恐れいらずにはいられなかったわけですが、実に気さくにお話ししてくださったこと、今も忘れられません。名作はいくつもありますが、まずは『龍の子太郎』を紹介しておかなくてはと思います。ジャパニーズファンタジーの血脈というテーマを設定して、日本を舞台にした作品を時代を追って選書しながら読み解きたいと思っていましたが、そんな思惑など吹っ飛ぶ面白さに、今回、改めて読み返しながら圧倒されました。各地の民話を材にとった創作物語です。民話発掘についての松谷みよ子さんの功績や、その後の日本の民話ブームに与えられた影響などの論点は置いておいて、純粋なエンタテインメントとして、またファンタジー児童文学として、この物語の面白さに触れたいと思います。魅力溢れるキャラクターたちと、次の展開へとバトンを渡していく、そのフリの面白さ。ページをめくればもう、最初からクライマックスだぜ、なのです(その話を始めるとキリがないので割愛しますが、日本四大太郎の一人なのです)。

山あいの小さな村に暮らす少年、龍の子太郎。左右のわきの下に龍のうろこのようなあざがあることから、そう呼ばれていました。両親はおらず、おばあさんに育てられているこの少年、とてものんきでなまけんぼう。おばあさんに作ってもらったおだんごを持って山に遊びにいっては、歌っているばかり。そんなある日、あや、という笛の上手い少女と山で知りあい、仲良くなります。あやの笛の音にけものたちも集まってきて、みんな楽しく過ごしているところを目撃したのが、赤おにです。太鼓好きの赤おには、自分の太鼓をけものたちが聞きたがらなくなった理由を知り、嫉妬します。そして、あやをさらい連れ去ってしまうのです。折しも、おばあさんから自分の出生の秘密を知らされた龍の子太郎。お母さんは太郎を妊娠中に龍になってしまい、姿を消したけれど、まだどこかで生きているというのです。龍の子太郎は、その特別な力で鬼と闘い、あやを取り戻そうと決意します。てんぐ様の力を借り、赤おにを撃破しますが、さらに大ボスの黒おに登場と、物語は盛り上がっていきます。力勝負と機知を凝らした闘いはどう決着がつくのか。とはいえ、まだまだこれは物語の前半戦。母である龍を探し求めて旅をする後半戦では、さらに面白い展開が待っており、龍の子太郎の超人的能力も発揮されます。太郎の、のんきなキャラクターの妙と、あやの純真さ。悪役たちのどこかとぼけた味わい、何よりも、息子を思いやる母親の気持ちと、母親を恋しく思う龍の子太郎のいたわしさ。ユーモアに満ち、胸を打つ、スケールの大きな、ザ・物語の魅力に耽溺してしまう読書時間を味わえる傑作です。

今回、再読して、特に印象に残ったのは、龍の子太郎の共生のスピリットです。そんな大仰な言葉で説明することではないのですが、誰かと歓びを分かちあいたいという気持ちを、太郎がナチュラルに抱いており、それが行動原理となっているところが良いのです。美味しいおだんごを食べたら、誰かと一緒に分けあって食べたいと思う。そこには打算も計算もありません。「これから鬼の征伐についてくるなら」なんて交換条件を出すこともなく、無償で、けものたちともだんごを分けあう。そのスピリットが物語全編を貫いており、手にいれたものはすぐに人々に惜しみなく分け与えてしまうのです。クライマックでは農作物がとれずに苦しむ人たちのために、龍になった母とともに死力を尽くしていく龍の子太郎の姿に胸を打たれます。桃太郎は無辜の鬼から搾取する「征服者」という観点から語られることもありますが、龍の子太郎は人々のために非道の鬼を懲らしめもしますが、赤おに対しては慈悲をも与えています。そうした彼の誠意が、裏切られることなく、あやまたず感謝をもって龍の子太郎に還ってくる物語世界であって、そこに互いに助け合い、喜びを分かち合い、共生できる社会が描かれているのかと思います。児童文学物語としての祈りと願いをここに見ます。幸福な理想が輝く物語でした。第一回講談社児童文学新人賞受賞作で、後に国際アンデルセン賞も受賞し世界的にも評価された作品です。この時の講談社児童文学新人賞の佳作受賞作が山中恒さんの『サムライの子』です。ファンタジーとリアリズムの両輪は、ここに最初から花咲いていたのですね。