水深五尋

Fathom five.

出 版 社: 岩波書店

著     者: ロバート・ウェストール

翻 訳 者: 野沢佳織 金原瑞人

発 行 年: 2009年03月


水深五尋  紹介と感想 >
主人公の少年の「もう何も信じられない」という結論で終わる驚きの作品です。実際、少年期の世の中に対する結論は、往々にして覆されます。そこはスタートラインであって、終着点ではない。恐らく、世の中まんざら捨てたものではない、という発見が、賢明な少年にはこれから沢山あるはずです。そんな予感はあるものの、現在、何も信じられなくなるほど傷ついてしまった失望は重篤で、この物語は少年期の痛みの結晶のように思えます。裏切られたというよりは、大人の事情や、世の中のロジックを、無理に呑みこまされたことの違和感。そこに拒絶反応があること自体が実に少年的であり、きしむヤワなハートのわななきこそがYAの真髄だと思えます。ウェストールの苦味をじっくりと味わえる一冊。実に苦く、クセになります。

1943年。第二次大戦下のイギリス。イングランド北東部の小さな港町に暮らす十六歳の少年チャスの日常には、長びく戦争が影を落としていました。沿岸ではドイツ軍のUボートに貨物船が撃沈され、海上からの砲撃を受けたりと、リアリティを持って、戦争は目の前に展開しています。そんな緊迫感のある町に暮らしながらも、軍船の活躍に胸を躍らせたり、海軍中佐の従兄弟の華々しい活躍に憧れるチャス。ある時、チャスは川に浮かんだ不審な浮遊物を発見します。どうやら何かの発信器らしい。Uボートの攻撃のタイミングや、ラジオに入る雑音などを考え合わせると、この町には敵軍に情報を流しているスパイがいるのではないか。そう少年の想像は膨らみます。スパイを捕まえて「戦時協力」をしよう。邪気のない少年の冒険は、スパイの情報を集める中で出会う、戦争や、この社会に傷つき疲弊した大人たちと触れ合うことで、違った様相を呈していきます。やがて、本当にスパイがいたかどうか、よりも、もっと心をかき乱すことがチャスを待ち受けています。少年が大人の世界とぶつかる時の摩擦が実に痛い。思春期の不安定な気持ちの波動を伝えてくれるビビットな作品です。さらに宮崎駿さんの魅力的な装画とイラストが物語に雰囲気を付加していきます(やや軍事色が強いかな)。『水深五尋』という題は、潜水艦の深度のことかと思っていたのですが、五尋って10m弱なんですね。潜水艦には浅いものですが、しかし、人が沈むには十分な深さなのです。

本当の敵は敵国ではない。階級闘争こそが真の闘いだとチャスの父親は言います。勇ましい軍艦の活躍に胸を躍らせているチャスが、この年に出会う世界は、もう少し違った広がりを見せていきます。チャスが尊敬する父は、工場の技術主任であり、労働者階級の人間です。グラマースクールで優秀な成績を取り、オックスフォードも狙えると言われているチャスは、別の世界への手がかりを掴んでいますが、進学コースで同級になった町の有力者の娘、シーラと関わることで、自分の境遇を思い知らされ、社会の矛盾を感じとっていきます。戦争もまた多くの人間の心を傷つけています。死んだ人間も、遺された人間も、敵もまた、ギリギリのところで戦っている。成長しつつある少年の視線は、取り巻く世界を、これまでに気づかなかった角度で捉え直していきます。暫定的結論は「もう何も信じられない」なのだけれど、それは絶望ではなく一時的な失望であって、大人である読者には、そうした気分も懐かしく、そのもう少し先にあるものについても思い出されるところではないかと思います。本書は、ウェストールの(おそらく日本で最初に訳出された)『機関銃洋裁の少年たち』の続編にあたり、前作の三年後の話です。あの少年たちのうち「墓場っ子」ことセムや、既に新聞記者として働き始めているオードリーも登場します。あの「子どもたち」も、もはや子どもという年齢ではなく、本編はより深まった物語になっていますね。

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