海辺の家の秘密

出 版 社: 岩崎書店

著     者: 大塚篤子

発 行 年: 1989年11月


海辺の家の秘密  紹介と感想 >
ひとつ目の謎は、壁一面に書かれた無数の傷のような文字。それも「ウ」「オ」「シ」の三文字だけ。ウオシ、オウシ、ウシオ?。何を意味しているかわからない文字の羅列。たまきは別荘の小部屋の窓際の壁に見つけた不思議な文字が気になります。曾祖父が建てたこの小手舞の海辺の家は、後を継いだ大叔父が亡くなってから、誰も住む人がおらず、たまきの家が管理をしていました。時おり掃除に訪れるものの、今までこの壁に気づいたことはなかったのです。八十年前に建てたられた家には、どうやら沢山の歴史と謎が詰まっていそうです。興味を引かれて、たまきが調べたところ、この家には「ウシオ」という名前の女性が住んでいたことがわかります。たまきの大叔母にあたるこの女性は病弱で、戦時中に若くして亡くなっていました。二つ目の謎は、たまきの家で催された法事の最中に、一人の少年がユリの花束を届けにやってきたこと。土門俊介の孫だと名乗る青年は、遠路バイクで一人、京都のたまきの家までやってきたというのです。そして、花束を届けたのは、祖父の遺言だと言い残して去っていきます。たまきの家族や親族は誰も土門俊介という人の名前に記憶がありません。一体、自分の家とどんな関係がある人物なのか。ミステリアスに物語は進展していきます。

徴兵忌避。このキーワードが、たまきの中で大きくなっていきます。演劇部のたまきが、となりの高校で行われた演劇コンクールで見たものは、ベトナム戦争と太平洋戦争での徴兵忌避をテーマにした重い内容の劇でした。自分の意思とは関係なく戦争にかりだされる徴兵。それを拒否すれば銃殺になる。自分の信条にしたがって忌避した人だけではなく、ただ怖いから逃げ続けた人もいる。うまく逃げおおせても、友だちや仲間が沢山死んでしまった戦地に行かなかったことが後ろめたく、自分を責め続ける人もいる。たまきは同じ中学の演劇部の仲間たちと熱くこの問題を論議します。そして、思わぬことに、あの別荘の謎にも、徴兵忌避の問題が深く関わっていました。戦時中、あの海辺の家の主人であり、地元の名士でもあった、たまきの曾祖父が徴兵忌避の青年を匿っていたという事実。そのことで、あの家は戦争で家族を亡くした同じ村の人間から恨みを抱かれていたことを知ります。そして、匿われていた青年こそが、亡くなった大叔母のウシオの婚約者であり、あの花束を贈ってきた土門俊介、その人だということも知るのです。一体、戦争中、あの海辺の家では何があったのか。あの家で匿われ、徴兵を免れた土門俊介は戦後をどのように生きていったのか。すべての謎を解くために、たまきは、あの土門秀介の孫だと名乗っていた少年を、子午線の町、明石に訪ね、また一歩、真相に近づいていくのです。

うかつに開けようとしてはいけない扉があります。日常生活に生じた謎を解明してみようと思うのは若い心の好奇心ですが、ただ、その謎を解いていくことで、誰かの心の封印を解き、秘密を暴いてしまうこともあるのです。どうやら、何かしら過去の事情を知っているらしいウシオの姉、駒。この大叔母にたまきはあの海辺の家のことを尋ねて、素気なく拒否されます。たまきが海辺の家の秘密を解こうと、あの戦争の時代に起きたことを調べていく中で知る痛ましい真実。そして、知られたくない悲しみや痛みを抱いたまま生きている人がいることを、たまきもまた知るのです。たまきの心の成長が、閉ざされていた扉を開けて、この物語の最後の謎を解き明かします。十九歳だったウシオと、その婚約者の土門俊介と、ウシオの姉、駒の物語が明らかになり、四十年以上の歳月、心に秘められてきた秘密がたまきの目の前に明らかになります。年月の重みや、人が心に秘め続ける想いの深さと、どうしようもない現実の過酷さを知ること。解かれていくのは謎だけではなく、絡み合った多くの人たちの心の綾なのです。ミステリーと児童文学の融和について、後の理論社のレーベル、ミステリーYAの諸作品を読んでいて、やや難しいものを感じていました。ただの探偵気分の好奇心だけで謎を解こうとすれば人に痛みを与えることもある。しかし、問題の深淵と人の心情を深く慮ることで、人の心をも解き放つことができる。そんな謎解きには児童文学としての表現の可能性があると思うのです。本作の秀逸なバランスを是非、見ていただきたいと思います。