出 版 社: 実業之日本社 著 者: 武川みづえ 発 行 年: 1970年 |
< 空中アトリエ 紹介と感想 >
ママの空中アトリエは台所に作られます。脚立を置いてそのてっぺんに腰かけ、長く脚を継ぎ足したイーゼルに固定したカンバスで、天井近くの場所で絵を描く。それをユリの家では、空中アトリエと呼んでいました。ユリが四歳の時に、ママの絵の具と歯磨きを勘違いして大変なことになったことがきっかけで始まった空中アトリエ。ユリも今では小学五年生。もうそんな間違いはしませんが、ママが集中して絵を描くのには好都合なため、空中アトリエは健在でした。美術大学を出たママは、ずっと絵を描き続けてきましたが、一度、賞に入選したことがあるだけで趣味の域を出ていません。専業主婦のママは、家事のかたわらに趣味で絵を描いているものの、集中しはじめると夢中になりすぎてしまい、つい家のことがおろそかになりがちです。家事が多少、手抜きになるぐらいならともかく、ユリの授業参観に行き忘れたり、パパがお客さんを連れてくるのを忘れて準備をしていなかったりと、やや度をこえてしまっています。学校から帰ってきて、ママが空中アトリエの住人になっていると、ヤレヤレとユリは思うようになっていました。
どうしてこんなに絵を描くことに夢中になってしまうのか、ママにもちゃんと人に説明することができません。ママはむしろ、苦しいのだと言います。どうしても絵を描かないではいられないという自分の状態が辛いと言うのです。パパやユリに迷惑をかけながら絵を描いて、そんなことを言っているぐらいなら、やめてしまえば良いのではないかとユリは思います。そう言うとママは「ママの絵を見ればわかるでしょう」と答えるのですが、ユリにはその理由がわかりません。まだママの絵にはそこまで語る力はないのです。さて、ユリの家の近所でバラづくりをしているおばあさんがいます。おばあさんは戦争で旦那さんを亡くし、戦後、大好きだったバラづくりで生計を立て、子どもたちを育てあげた人でした。おばあさんはママが絵を描くことを「それがあなたの生きるあかし」なのだと言い、ママに個展を開くことを勧めます。ママは俄然、やる気になるのですが、ユリもパパもママが夢中になるほど、どうしてそこまでと思うのです。喜ばれてもいないのに、ママが人に自分の絵をプレゼントするのは何故なのか。それは、ママが自分の絵に自信があるからなのだと、やがてユリは気がつきます。絵をほめられた時、ママがどんなに喜んでいるのか。そして、ママの絵を誰よりも理解しているのはパパで、なんだかんだ迷惑をかけられても、パパはママに絵を描かせてあげようとしている。自分には手のとどかないところにある二人のつながりを見ながら、ユリはどこかさびしく思うのですが、パパからは、ユリもまたママのように心の火をもやすんだよと言われます。落ち込んだり、戸惑ったりしながらも絵を描き続けるママと、それをサポートするパパ。やがて自分の空中アトリエを持つ将来を心に抱くようになるユリの、そんな甘やかで理想的な家族のお話です。
この作品のママは、子ども時代を満州で過ごしていて、その当時、食べたという、アカシアの花の天ぷらを食卓にだすことがあります。僕の母も満州育ちだったので、およそ同世代ぐらいの人だろうと思って読んでいました。女性も高い教育を受け、社会進出が始まっているとはいえ、都市部にあっても、まだ男性のようにはいかない時代であったと思います。生活にそれほど不自由があるわけでもないあの年代の専業主婦の自己表現の渇望については、母のしていたことを諸々を考えあわせると、思い当たるものがあります。戦後四半世紀が経過して、児童文学で描かれる子どもたちの家庭も、随分と裕福なものになっています。パパも理解のある人だし、そうした家庭が普通になってきたのかも知れません。自分の生きるあかしのために心の火を燃やすという命題。そこには、自分でもどうして良いのかわからない苦しさがあります。思うような評価が人から得られない。認められない苦しさ。ママが一番落ち込んだのは、パパからも理解されていないのではないかと思ってしまった時です。まあ、そこを夫婦のきずなで乗り越えてしまう理想的なお話ではあるのですが。あとがきによれば、このママの葛藤は、児童文学に寄せる作者自身のものであり、主婦業の傍ら時間を削りながら書いては、突破口をどうにかして見つけようとしている姿と重なるもののようです。今も変わらないのは、創作や表現の世界に足を突っ込むのは地獄道だということですね。まあ、焦らずにいきましょう。