出 版 社: 福音館書店 著 者: ジャネット・テーラーライル 翻 訳 者: 多賀京子 発 行 年: 2007年11月 |
< 花になった子どもたち 紹介と感想 >
自分が末っ子のせいか、年少の子とのコミュニケーションのとり方が下手で、子どもの頃からとても難渋してきました。弟や妹がいる友人などを見ていると、そうしたところを、さりげなくこなしているので、経験値の問題だろうか、と思っていました。慣れぬものは慣れぬもので、未だに、小さな子ども相手というのはテレてしまってダメなのです。子どもの遊ばせ方や、叱り方については、コツのようなものがあるのかも知れませんが、あらかじめ腰が引けてしまうと、テクニックでカバーできるものじゃありませんね。こうした大人の、テレや含羞みたいなものを、当の子どもたちは、どう理解してくれているのだろうか、と思います。こちらとしても照れ隠しに、つい、つっけんどんになってしまうのは、そうした、どうしたら良いのやらわからない困惑による複雑な態度なのだけれど、子ども側からして見ると、不審を抱いてしまうのかも知れません。小学校の時の先生で、あきらかにそういうていの方がいて、なんだかこわいなあと、当時は、感じていたのですが、あの方は、子どもが苦手だったのだろうな。今もって、あの方が、何故に小学校の教職を選ばれたのか不思議なのですが、表現が不器用なだけで、子どもは好きだったのかも知れない。好き嫌いと、得意不得意は違うものですものね。微笑んでいるつもりでも、睨んでいるようにしか見えない人はいるもの。どうしても、子どもと対峙すると、緊張感が生じてしまう。そんなタイプの大人の悲しみというものもまた、味があるものです。本書は、子どもを育てたことがないオールドミスの女性が、二人の子どもたちを預かるお話です。子どもをどう扱って良いのかわからない大人側の困惑と、子ども側の戸惑い。物語の旋律は大人と子どもの相克を奏でながら、更に、不思議なハーモニーをそこに加えていきます。いったい、この物語は、どこにいき着くのか、と思わせるような意外な展開と、繊細な感情の機微のリアル。そして、物語の余白に生まれた、微妙な余韻は、実に味わい深い奥行きをもってこの作品世界を感じさせてくれます。
母さんが亡くなり、仕事で忙しい父さんでは面倒が見きれないとの理由で、夏休みに、ミンティーおばさんの家に預けられることになったオリヴィアとネリーの姉妹。お姉さんのオリヴィアは、最初から、この計画に反対でした。何故って、父さんのおばさんである、ミンティーおばさんは、えらく年をとっているし、ちょっと変わった子である妹のネリーの面倒を見るのは難しいのではないかと思うのです。それに、母さんが死んだあと、ネリーのことを守ってきたのは自分だという自負もオリヴィアにはあったから。父さんから、おしつけられるように預けられた二人の女の子を前に、呆然としているミンティーおばさん。オールドミスで、子どもを育てたことのないおばさんは、ちいさな子どもの扱い方なんて知らなかったのです。さらに問題なのは、ネリーのややこしい性格。まだ幼いネリーは、独自の複雑なルールにしたがって生きています。服を着る順番から、階段の上り下りの仕方まで、生活すべてに特殊なルールを実践しているのです。このルールが守られないと、かんしゃくを起こすという、地雷だらけの性格。これを、父さんが、おばさんに説明しなかったものだから、おばさんの疲労度は並々ならぬものになってしまいました。オリヴィアは、ネリーの機嫌をうかがい、また、おばさんが倒れてしまわないようにフォローしなければならないのです。ミンティーおばさんなりに考えて、二人のために良かれと思い、世話を焼こうとするのですが、オリヴィアから見ると、どうも的外れでいらいらとするばかり。頭が良くて、きれいだった母さんにひきくらべて、いつも変な麦わら帽子をかぶっている、小さくてみっともない、このおばさんのことも、ちょっと疎ましく思えてしまう。無論、自分たちのことを考えてくれているのだから、気の毒な気持ちもするのだけれど。そんなふうに過ぎていった夏のある日、おばさんが、いつも手入れをしている草深い自分の庭から、陶器のとても美しい青色のティーカップが埋まっているのを発見します。それが、不思議な世界に姉妹を誘うきっかけとなったのです。
かつて、ミンティーおばさんの家には、一人の作家が住んでいたといいます。その作家、エリス・ベルウェザーは、庭を舞台にした物語『花になった子どもたち』という作品を遺しています。妖精と「花になった子どもたち」にまつわる、解けなかった呪いの物語。鍵となるのは、庭に埋められたという青いティーセット。ハッピーエンドではなく、未解決なまま、不思議な印象だけを残して終わる幻想的な童話、この『花になった子どもたち』に登場する庭と、今、目の前にあるミンティーおばさんの庭は、同じものではないのか。子どもたちが花に変えられてしまった、あの物語で、唯一、花にならないまま、庭を守ることになった「ものいわぬ子」とは、一体、誰なのか。庭に埋められているティーセットをすべて揃えれば、呪いが解ける。それはお話の中の約束事。でも、現実にティーカップが庭から掘り起こされている、ということは・・・。この事件は、幼いネリーの心を奪い、夢中にさせ、妖精の呪いをとくために、庭に埋まったティーセット探しに奔走させます。でも、オリヴィアは、ちょっと解せないものを感じています。そんなことがあるはずがない、と。不思議な緊張感を持ったまま、物語は進んでいきます。おばさんと過ごしたその夏の終わり、オリヴィアもネリーも、少しだけ、心の変化を迎えています。花々や昆虫、光あふれる夏の庭の光景も床しく、そうした中で交錯する大人と子どもの心のかけひきが、ちょっと「わかったつもり」になっている、まだ子どものオリヴィア側の視点を中心に描かれていく、不思議な膨らみをもった物語です。