12歳たちの伝説

出 版 社: 新日本出版社 

著     者: 後藤竜二

発 行 年: 2000年06月


12歳たちの伝説  紹介と感想 >
この作品を読むことには、かなり抵抗がありました。僕にとって、非常にリアリティのある話なので触れたくなかったのです。小学校五年生の頃の記憶があまりはっきりしません。それは、自分の人生で一番辛い時期だったからのようです。小学校四年生の終わりに母が亡くなり、家では、父子家庭のドタバタ生活が始まりました。父親の奮闘を目の前にしながら、まだろくに家事もできない自分は、急激に変ってしまった生活パターンに戸惑っていました。一方、学校でも、五年生になって担任の先生の変更を機に、クラスの学級崩壊がはじまり、そうした中で学級委員に選ばれた自分は、どうしたら良いのかわからず、授業放棄やいじめが横行する中で、いい子ぶった奴として目の敵にされたり、からかわれたり、ときには、罪悪感を感じながら、授業中、ふざけることに加担していました。より過激になっていく、周囲のクラスメートのエスカレートぶりにもついていけず、正直言うと、あまり自分の状況を客観的に考えることさえできなかったのです。流されていた生徒の一人として生きていた時間の自意識のなさを、今となっては、恥ずかしく思います。今、被害者のように語りながらも、結局は加害者であった自分をどう断罪して良いのかわからないのです。クラスをまとめられなかった女性担任は、六年生の担任を年配の男性教師にバトンタッチしました。クラスは多少の落ち着きを見せましたが、結局、「暴徒が沈静化された」にすぎない状況であり、なんら美談は、ここに存在しなかった、ように思えたのです。僕の救いのない話は、ここでお終いですが、同じようなシチュエーションの物語の中で、子どもたちは、この現実を、どう乗り越えていったか。過去の傷を見つめる、痛い読書なのですが、やはり正面から向きあわないとならない問題なのだと、今さらながら思います。

学級が崩壊し、「パニック学級」と呼ばれた五年一組。前担任の高齢の男性教師は胃潰瘍で辞めてしまい、その後のピンチヒッターも長続きせず、六年生に新級してもクラス替えはないまま、新学期になって、やっと新しい担任の先生が教室へとやってきました。新米の女性の先生。彼女は何故か大きなゴリラのぬいぐるみを抱えています。大人を蔑んだり、へらず口を叩いたり、無視したり、困らせることにかけてはお手のものの「パニック学級」の面々。さっそく、この新米教師を凹まそうと思ったところ、どうも、反応がおかしい。どんなにからかっても、するりとかわしてしまう、この先生に、拍子抜けする生徒たち。そして、初日だというのに、もうクラス全員の名前と顔を覚えている。そしてこの場所にいない登校拒否の一人の生徒のことも・・・。ともかく、ゴリラを抱えているので、仇名は「ゴリちゃん」、そう決まりました。さて、パニック学級あらため、ゴリちゃん学級は、六年生になって、新しい展開を迎えられるのでしょうか。この物語は、生徒たち、一人一人の一人称の主観で語られていきます。このパニック学級を、自分なりの処世術で生き抜いてきた生徒たち。パニックを起こしていた当事者もいれば、付和雷同の子もいる。教室の雰囲気がオカシイ状態を皆、ただ容認していたわけではなく、この教室で生き残るために調子を合わせていた子もいます。程度の差こそあれ、被害者であり、同時に、加害者である、それぞれの胸のうちが語られていきます。無自覚な幼さというものに、寛容であるべきか、その残酷さを非難すべきか。軽い気持ちで人を傷つける子どもたち。傷つけられることから、自分を守らなくてはならない。子どもの視点でながめる同級生たちとの世界は、計算高く、緊張感に満ちています。いつもバリアーをはりめぐらせて、他の人たちを信用しない。でも、ほんとはみんなやさしい気持ちをもっているのかな、教室が一瞬だけ、ゴリちゃんの授業の優しい雰囲気に包まれた時、ある生徒は思いました。言いたくても言えずにいた言葉を先生は、ちゃんとわかってくれた。本当は人を信じたい、でも、まだこのバリアーをまだはずすわけにはいかない。どこまで信用していいのだろう。どこまで心を許していいのだろう。自分も、素直に、いい子になってもいいのかな・・・。

たずさわる大人が、ちょっとバランスを調整するだけで、子どもたちの世界は変貌を遂げるものなのでしょうか。もし、さりげなく、子どもたちの心に寄り添える人間力のある先生があらわれたなら、狂った教室の磁場を修正してくれたのでしょうか。だったら、誰もが輝ける少年少女時代を失わなくても済んだのか。学校のリアルの中で、生き抜こうとしている子どもたち。親や社会からの要請に応えながら、教室ではシラケたふりをして、やる気がないようにふるまうことで、自分の居場所を確保しようとしている。それぞれ必死な思いで、やり過ごそうとしている、そんな時間。バリアーをはずして、自分の心のうちをさらけだして、心を通じさせることの喜びを知った一部の生徒たちの「気づき」が本編では描かれています。もしかすると、僕はとても鈍感で、なにも気づけないまま大人になった一人なのかも知れません。だから、過去の時間を暗い思い出としか感じていないのではないかと。あの教室で、一人一人は何にを考え、何に気づき、心を震わせていたのか。自分の記憶をもう一度、ひも解いてみるべき時なのかも知れませんね。