トリコロールをさがして

出 版 社: ポプラ社

著     者: 戸森しるこ

発 行 年: 2020年05月

トリコロールをさがして  紹介と感想>

この物語は、人が成長するに従って直面せざるをえない友人との関係の難しさを面と向かって読者に突きつけてくる手強い作品です。小学四年生を主人公とした中学年向けの作品ですが、手加減はなく、大人読者としては、そこに踏み込むのか、と冷や汗をかくぐらいです。いや、戸森しるこさんが中学年向けの作品を書かれるのであるから、何を仕掛けられるのかとあらかじめ期待があってのことなのですが、凄いなあと思っています。歯車が噛み合わなくなった女子同士の友人関係。それがどういう結末を迎えるのか。あらためて、友だちってなんなのかということも考えさせられます。極論ですが、大人になると、連れ立って何かを一緒にするような友だちは必要ではないと思っています。会わなくても、ただどこかで気持ちが通じている、心を知る人がどこかにいれば良いと思うのです。いつも顔を合わせながら、気持ちが通じていない、そんな友人関係は実際いらないと思うのですが、小学生女子的には、いや中学生女子ぐらいまでは、装備品のように身近に友人がいないと過ごせないものか。まあ、男子もそれほど違いはないし、同性コミュニティの依存関係は未熟な年頃においては、自分を支え励ましてくれるものであったり、時にこじらせて、重荷になったりするものだというのは同じです。ともかくも、感慨深い作品です。広い世界を知らない子どもが、それでも新しい生き方を見つけ出し、自分を超えていく。その成長には、今までの自分との別離も伴います。そんな哀切と苦味を味わえる物語です。

小学四年生の真青(まお)の悩みは、従姉妹である真姫(まき)が、この頃、自分につれなくなっていることです。小学六年生の真姫と二歳年下の真青では、あらかじめ距離があるのは仕方がないところなのですが、一緒に絵画教室にも通い、友人として親しく付き合ってきたのです。それがこの頃、真姫の関心はファッションのことばかりに向かっていて、真青を子どもあつかいして、つきはなすような態度をとります。しかも、同じクラスに転校してきた帰国子女の真白(ましろ)とばかり遊びたがる。それというのも、真白の母親が、真姫が憧れるファッションブランド、トリコロールをたちあげたデザイナーだからのようなのです。真青としては真姫が自分から離れていくことに穏やかではいられず、トリコロールについて調べたり、なんとかして真姫の関心をひこうと努力を続けます。それが逆に真姫を怒らせることにもつながり、二人の仲の亀裂は大きくなります。一歩先に「複雑なお年ごろ」になってしまった真姫を追いかけて、すがりつこうとする真青の心模様が切なく迫ります。変わってしまった真姫をどう受け止めたら良いのか。真青は逡巡し、真姫との関係について、自分なりに考えていきます。好きときらい。それが止揚したところにある友情の複雑さ。いつも一緒に歩いていくことはできなくなっても、それでも残されたものがある。新しい友情のステージにステップアップしていく真青を見守る、手に汗を握る物語です。なんという緊迫感。

友人だと思っていた相手が「自分が利用しやすい都合の良い人」にすぎず、その関係性を維持するのために繋ぎ止めたかったのだと、自分で気づくこと。これは結構、ショックではないのかと思うのです。真姫が真白に、自分と親しくしようとしているのは、デザイナーである母親に近づきたいからなのだろう、と正面切って図星を指される場面があります。こうした時、自分の真意に無自覚だっただからこそ狼狽するものがあるのではないかと思うのです。例えば、教室で一人でいると寂しいので付き合っているだけの友人関係もあり、そんな打算を自覚してしまった時、人は自分自身に戸惑うものなのかもしれない。性格の不一致や方向性の違いによって、解消される関係もありますが、実際には互いに相手をリスペクトできなくなった時に友情の終わりがくるのだと思います。あらかじめリスペクトがないけれど、自分にとって都合が良いから必要だった人、を離れがたい友だちだと思うのは自己都合を正当化した自己暗示であって、目を覚まさないといけない。逆に相手にとって自分はどんな存在なのかと考えてみることも必要です。自分が寂しいから一緒にいたいだけだったのではないか。その地雷を踏み抜いて、一回、爆死してから、もう一度、友人関係を再構築するというのが、通過儀礼なのかも知れません。小学四年生の主人公に、そして年少の読者に、こうした友人関係の深層と真相を突きつけるこの物語に震撼しています。一方でトリコロールの三色旗のように、互いの個性と違いを認めあいパートナーシップを築いていく希望も人には残されているのだと物語は教えてくれます。友情の始まりではなく、友情の終わりを描いた物語。いや、終わったのは友だち関係だけで、友情自体は失われないものかもしれないと、そんなふうにも考えています。互いに惹かれあい、親しくできた時の本当の友情がそこにあったのなら、またいつか心を交わせる時がくるのかも知れません。時間の経過によって、人と人との関係性は自ずと変化していくものです。あけすけに言うと、社会的な立ち位置が違ってくると付き合いが難しくなることもあります。それでも、どこかに人と人を繋いでいた友情が息づいているのだと思いたいところです。こんな文章にちょっとでも共感してもらえる方がいたら、それもまた友情の始まりかも知れません。