クララ白書

クララ白書

出 版 社: 集英社

著     者: 氷室冴子

発 行 年: 1980年04月


クララ白書  紹介と感想 >
※この文章は氷室冴子さんが亡くなった2008年に書いたものです。

しーの、菊花、マッキー。フルネームだと、桂木しのぶ、佐倉菊花、紺野蒔子。今回は、読み返す前に書き始めているのですが、恐ろしいことに、主人公三人組の名前を漢字までちゃんと覚えているのは驚きです。本書を最後に読んだのは二十年以上前ですが、この『クララ白書』シリーズは多感な時期に何度も繰り返し読んだもので、もはや自分自身の一部になっているようです。さっきから川原泉さんの『笑う大天使』の三人組の名前も思い出してみようとしているのですが思い出せません。ビジュアルイメージがないからこそ、逆に活字のまま記憶に残るものもあるのだなと思いました。本書、『クララ白書』は、後に映画化やコミック化されているものの、ストーリー云々よりも「文章」としての個性があまりにも強く、「活字で読む」ことこそが最も理想的な作品であると思います。氷室冴子さんがジュニアノベルに残した功績はとても大きいわけですが、それよりも、僕自身の個人史の中で読書する楽しみを教えてもらった作家さんとして、彼女の早すぎる死は、ひとつの時代の終わりを告げる事件であったかと思います。ということで、追悼の意味も込めて、今、あらためて読む氷室冴子、初期の代表作『クララ白書』。実は、この再読、かなり躊躇しているのです。

伝統ある私立女子校、徳心学園中等科三年生、桂木しのぶ。愛称は、しーの。父親の九州への転勤が決まったけれど、慣れ親しんだ学園を離れがたく、家族と別れ一人、北海道に留まることになりました。ひそかに寄宿舎生活に憧れていたこともあって、中等科の寄宿舎であるクララ舎に入ることはやぶさかではなかったのだけれど、思いもかけない障壁が立ちふさがっています。生徒会の書記で、去年の学園祭の中等科の劇では主演女優として評判をとり、学園ではちょっととは知られた有名人だったけれど、寄宿舎は学園の中の別のもうひとつの世界。ここに中途入舎した上級生は、新参者として、ちょっとした通過儀礼を経なければならない掟があったのです。しーの、そして、徳心学園自体に三年編入して入舎した菊花と蒔子の三人が今回の対象者。彼女たちに課されたのは、深夜、カギのかかった調理室に忍び込み、クララ舎生全員にいきわたるだけの大量のドーナツを作るという難題。さて、三人はいかにして、この課題をクリアしたのでしょうか。真面目な優等生だけれど、吉屋信子などのオールドファッションな少女小説が好きな変わり者の、しーの。編入生の菊花とマッキーこと蒔子は、二人ともちょっとしたお嬢さんのようだけれど、どうやら何かワケありのよう。高等科の先輩たちや後輩との交流、寄宿舎や生徒会の同輩たちとのやりとりも楽しく、ちょっとした反目や、凹むこともあるけれど、毎日は続いていくのです。そんなクララ舎の輝ける日々。体育祭あり、学園祭あり、いえ普段の学校での他愛もないおしゃべりもまた床しいもの。永劫回帰の学園生活がここに輝いているのです。

登場人物全員、口が達者です。単語だけをボソっとつぶやくような子はおらず、皆、ちゃんと理路整然とした文章で滔々と話し、しかもウィットを混ぜながら会話しています。頭の良いお嬢さんたちばかりである、ということを前提としても、知的かつ意気軒昂で、それでいて人の心の隅を見透かすような洞察力を持った、なんというか、サバけた「女史」たちばかりなのです。女の子的な甘えや媚態が一切ない。最初にこの作品を読んだ時、彼女たちよりも年少であった自分は、お姉さんたちの、毅然として知的に一歩リードしている姿に憧れを抱いていました。なにせリアルな中学生空間は、未開の粗野さにあふれていたもので、小説の中のサンクチュアリに、ちょっとした理想郷を見たのかも知れません。しかしながら、そうした気持ちを抱かされた非常に重要な部分が今回の再読では欠けており、それゆえに意識させられたところがあります。この表紙画像は『クララ白書』の初版です。原田治さんの表紙絵も懐かしい一冊(考えて見ると、ドーナツつながりだったんだ)。今回、僕は1996年に発行された単行本版を読んだのです。コバルト文庫の初版に比べると、随分と改稿がなされているバージョンです。ここでは、あの沢山ちりばめられていた固有名詞や引用句や変な言い回しが殆どなくなっているんですね。著者あとがきによると、あえて意図してカットしたものだそうです。これによって、キャラクターの魅力がちょっと損なわれた感じがしています。氷室作品は、というか、少なくとも『クララ白書』シリーズは、キャラクター小説で、登場人物たちの個性を物語るエピソードで成り立っている作品です。起きる事件も、ごく日常的でささやかなものです。一番の魅力は、各々の台詞から伺える彼女たちのバックボーンで、そこに沢山のアヤがあったのだなと今にして思いました(だから映画もコミックも、自分にとってはあまり魅力を感じなかったのか)。随所にあった、当時としてもハイブローな固有名詞や、言い回しの妙が失われてしまっているのは実に寂しいものです。現在の僕ですら、未だに原典がわからないような引用句や、物語の登場人物の名前などを閃かせて会話するこの中学生女史たちの博識ぶりや知的センスが、キャラクター造形を深めていたことは確かです。ちょっと複雑な再読になってしまいましたが、自分が何に魅力を感じていたのかはわかったような気がします。YA的要素ということでは、『アグネス白書』以降、つまり及川朝衣の登場を待たなければならないかも知れません。氷室冴子さんのデビュー作である『さようならアルルカン』や『白い少女たち』に見るような等身大の繊細さは、コメディタッチのこのシリーズでは隠されているわけですが、剥き身のナイフのような鋭い感情のぶつかりあいや、自我の葛藤も、笑顔の裏には抱合されているのです。学生時代は愉しいだけではなく、痛みを孕んだ時間でもある。後のコバルト文庫の中でも、そんな氷室冴子さんのスピリットを受け継ぐ作品もありましたね。YAやラノベではなく、ジュニア文庫というものが存在し、そこに金字塔をうちたてた氷室冴子さんの偉業、というよりも、僕自身が読書することに与えてくれた影響の大きさに感謝しつつ、ご冥福をお祈りしたいと思います。