村木ツトム その愛と友情

出 版 社: 偕成社

著     者: 福井智

発 行 年: 2017年12月


村木ツトム その愛と友情  紹介と感想 >
「五秒だけ、彼になって」と同じクラスのすごい美人のマリさんに頼まれた村木ツトム。マリがつきあっている彼と別れるために、五秒間だけ彼の目の前で抱きしめて欲しいというのです。さて、こんな時、男子としてはどうふるまうべきか。なんとなくマリのことが好きだったツトムとしては喜んでいいのやらどうなのやら。友人の西川は、マリを抱きしめて「本気にさせる」ための練習をせよ、というアドバイスをくれました。ダメだとしても抱きしめられただけ「もうけもんやんないか」と言うのです。友人たちからのアイデアによって、ツトムはこの五秒間を最大限に活かす作戦を実行していきます。マリの彼氏は別の中学校の一学年上の三年生。ツトムと同じく剣道をやっていて、カッコ良くって、しかもワル。その目の前でマリを抱きしめたりしたら、ただでは済まないことも想定済みです。友人たちは「ワルを説得する」案をツトムに提案しますが、かなり無理がある。真面目でとぼけていて、どうにもモテそうにない。そんな中学二年生の村木ツトムが奮闘します。全編、温かいユーモアに満ちた素敵な作品です。村木ツトムの友人や家族のように、彼を応援したくなる。愛と友情が輝いている、この愛おしい物語を是非。

面白いのは、村木ツトムがまったく腹蔵なく自分の状況を人に相談してしまうところです。一切、隠さない。そこで与えられるアドバイスがいいんです。特に剣道部の顧問の市川先生がいい味です。「何か、悩んでいるやつ、おるか?」と呼びかけるこの年配の先生は、含蓄のある話をしてくれる生徒の人生のコーチなのです。「たったの五秒で、永遠の愛をしかけることもできる」という先生の言葉に何かを感じとったツトムは、電信柱を抱きしめて練習するという奇態を演じはじめるあたりが、この物語の面白いところ。どこかズレていて、馬鹿馬鹿しくて素敵なのです。物語は案の定、村木ツトムをピンチに追い込みます。意を決して告白したマリには、あっさりとフラれるという呆気なさですが、フラれるその向こう側を物語は見せつけてくれます。「ふられても、ふられてあげたと思える度量」なんてことを先生は言います。ふられても、相手に敬意を表して、遠くで、その人の幸せを祈る。この心意気はなかなか会得できるところではないですよね。フラれたツトムに「損はしてへん!」と怒ったように声をかける西川の心情もまた沁みます。さて、ワルとの決着を剣道の個人戦でつけることになったツトムの必死の練習が始まります。ツトムの心の成長がその剣を磨き、勝負に臨む気持ちを研ぎ澄せていきます。モテはしないが、なんかカッコいい。そんな生き方もあっていい。少年の心の世界が豊かに広がっていく、実に伸びやかな物語です。センス良くウィットに富んだ、関西弁の会話がたまりません。木版画のイラストもすごくいいのですよ。

本の冒頭にある献辞が、作者からではなく、主人公からという不思議。しかも読後にも本編との関連性がよくわからないという不可解さ。ただ、それによって時間軸の認識が変わります。物語はリアルタイム進行ですが、これは大人になった主人公の回想の物語なのでしょう。やはり懐かしい時代を想起させられるところがあります。年代を特定できる部分は多くありません。500円玉が発行されているのに、「肉入りカレー」がごちそうというは、庶民感覚としてはややズレがあるような気もします。何よりも、ギスギスしたところが一切ない、のどかな人間関係が、なんだかすごく良い時代っぽいのです。「古き良き時代」礼賛に僕は懐疑的です。現在の方がリベラルなことは多いものです。ただこうした世界観が失われてしまったものなら、もう一度、作り出したいと思うのです。懐かしんで終わりではなくて、未来に実現していきたい、人と人との関係性の理想がこにあります (マリさんが、ただの美人というアイコンだったので、もっと魅力的な人として描かれていたら良かったかな)。案外、過去の話のように思っていたら、実は未来の話でした、なんてオチがついても良かったんですけどね。