出 版 社: 講談社 著 者: 黒川裕子 発 行 年: 2018年07月 |
< 奏のフォルテ 紹介と感想 >
口を開けば、つい人を傷つける言葉を吐いてしまう。本当のことを言っているだけだから、別に悪気はない。そんな無礼千万で傲慢な人もいるものです。傲岸の棘が人を突き刺してしまう。人の気持ちには無神経なのに、自分自身はセンシティブで傷つきやすいというのも虫のいい話です。鼻持ちなりませんが、かといって、こうした人が何らかの気づきを得て、全方位気遣いの平凡な人になってしまうのは残念なものです。この物語では、特別な音楽の才能を持った中学生が挫折感を味わいながらも自分の進路を見極めていく岐路が描かれています。天才少年の苦悩には共感しようがないものの、ここに描かれるメッセージには感じ入ります。高いプライドを持て余しながら、オレ様にもなりきれない。特別にセンシティブであることの恍惚と不安。大いなる歓びと苦しみに翻弄されている、面倒くさくて関わりたくないタイプの主人公ですが、そんな彼が世界とどう繋がっていくのか、震えながら踏み出す一歩には心惹かれてしまうのです。世界のトップレベルでしのぎを削る主人公を描く物語はコミックではスタンダードですが、国内児童文学では珍しいものですね。音楽を、壮麗な言葉の旋律で表現する見事な修辞の連なりや、唯美主義と成長物語が混淆した児童文学的な物語の解決にも注目の、第五十八回講談社児童文学新人賞佳作受賞作です。
単身ニューヨークへ飛び、音楽の名門、ジュリアード音楽学院の受験に挑んだ中学二年生の男子、奏(かなで)。審査を受けた憧れの世界的ホルン奏者に「きみの音には、愛がない」との講評を突きつけられ、失意のまま帰国の途につきます。力強く傲慢で美しいけれど、自分以外の音を必要としていない。自分の演奏の根幹にあるものをそう指摘されたことで、奏は大いに戸惑います。その演奏の技量は、国内のコンクールでは高い評価を受けてきたものの、一方でデストロイヤー(壊し屋)と異名をとるほど人間関係を壊してしまいがちで、周囲と調和することができない少年。それは性格の問題だけでなく、彼の体質でもあり、ピッチの合っていない他人の演奏を身体が拒絶してしまうのです。不安定な精神状態で、すぐに嘔吐してしまう繊細さがありながら、ありのままの辛辣な言葉を遠慮なく人にぶつけてしまうために不和が生じる。そんな奏が他人の音と調和することを体感し、ステップを昇っていく心の成長の物語ですが、そのナチュラルな傲慢さが影をひそめることがないところもまた魅力的です。迷惑行為は芸術のためだからといって赦されるはずもないし、もとより音を鳴らしたいと思うのは自分のエゴです。しかし、その強い衝動によって、深い失意をも越えていくことができるし、我が儘に生きる力強さを見せつけてくれるのです。全方位配慮とコンプライアンス遵守の現代において、純粋に唯美的であったり、芸術至上主義であることとの折衝も考えさせられました。それぞれ音楽を愛する若い演奏者たちの愛の形の違いも面白いし、ハリネズミのジレンマもまだまだ健在だと、なんとなく嬉しくなったところです。尖っていますね。
できたことよりも、できなかったことの方を数えてしまいがちです。子どもたちが、そうした気持ちに沈んでいるのを見ているのはイヤなので、紋切り型に、若いんだからもっと頑張れ、と言ってしまいがちです。歳をとると容易に諦めてしまえるものが、未来や可能性がある分、難しいものですね。それなのに、もう後がないような、切羽詰まった感覚に襲われ続けているのが、ありていに言うと青春なのだと思います。そんな地獄の季節の当事者の姿は、面映ゆくも羨ましく思えます。自分も公募で最終選考に残って、審査員講評を受けられるところまで行けたことが何度かありましたが、まったくもって、どう改善したら良いのかわからない痛烈な意見をいただき、凹み続けて現在に至っています。奏のように悩みながらも奮起することができず、途方に暮れたままで停滞中です。だからこそ、奏が立ち上がり、人と手を繋ぎ、自分の表現を模索していく姿には、グッとくるところがありました。十四歳たちの音楽にかける情熱と、その鼻っ柱の強さと、傲慢な愛情に、カッコいいよなあと憧れてしまうのです。