夏に泳ぐ緑のクジラ

 

出 版 社: 小学館

著     者: 村上しいこ

発 行 年: 2019年07月

夏に泳ぐ緑のクジラ  紹介と感想>

一族の孤独の系譜、といえば、マルケスの『百年の孤独』がお馴染みですが、ベースとなるラテンアメリカの人情がよくわからなかった自分は、結局、あの一族の特異性が理解できないままだった学生時代の読書を思い出します。どうも、孤独という言葉のイメージと違った印象だったので。人生の年輪の分、今ならもう少し深く読めるのかも知れませんが、今となってはページ数に怖じ気づく始末。さて、この物語もまた、祖母、母、娘の三代にに引き継がれる「孤独」が描かれています。この「孤独」も難解で複雑です。家族と一緒にいるのに孤独、なのだから。関西圏の架空の島である「灯詩島」を舞台に、ここに「捨てられにきた」という中学三年生の女子、京(みやこ)の心境が語られていきます。ラテンアメリカほどではないものの、ここにいる人たちとの感覚もやや遠いところがあるなと、読者である自分も次第に気づき始めます。悪い意味で田舎。理不尽で子どもの自由な精神を疎外する因習的な考えがベースにある土地です。DVや毒親や母子カプセルなどのキーワードで語られる以前から、偏向的な「躾けられ方」は存在し、負のバトンが延々と渡され続けてきました。そんな末裔である京。孤独な子どもにだけ見える、島の伝承の妖怪、というか土の妖精「つちんこ」が見えてしまった時点で、かなりマズイ状態なわけですが、子どもには解決しようのない重い問題を前にして、彼女がどう立ち向かっていったかを是非、見守って欲しいと思います。ともかく、しんどい話です。孤独とは理解者がいないことだろうと思うのです。だからこそ、こうした状況にいる子どもたちに力を与えてくれるサムシングがある物語なのだと思います。

ネットの株式投資に失敗して家の貯金を全て失ってしまった京の父親。元々、精神が不安定だった京の母親は、もはや夫とは一緒には暮らせないと、家を出て、京と一緒に実家である灯詩島に戻ってきました。その心はかなり病んだ状態となっていて、京は抗うつ剤を飲んでいる母親を心配しながらも、一方で、不安定なメンタルの母親へのいらだちを隠せません。寂しい思いを抱えてこの島にきたのに、従姉妹である舞波とはなかなか話が出来ず、友人の海輝も人が変わってしまっていました。孤独を深めていく京の前に現れた、つちんこは、より孤独の本質を見つめるように促すのですが、京の欲しいものはそんなものではありません。以前は爽やかで大人びた少年だった海人にも、つちんこが見えていることを京は知ります。海人の家庭もまた崩壊していました。母親の不倫と失踪。それ以前にあった父親のDV。傷ついている海人を京は励まし、寄り添おうとしますが、つちんこのアドバイスはより鋭いものになっていきます。信じたくないものに目を背けているうちは、越えていくことができない。弱い母親を責め、家がこんなことになってしまったことの不満をぶつけるだけの京でしたが、見たくなかったものに目を向けて、ここに至るまでの家族の事情を知りはじめます。実に込み入った事情で、母親がこうした人になったプロセスを京は理解することになります。ここに祖母と母親、自分にいたる家族の「うまれ合わせ」の不幸を京は体感します。「絶望もいつか希望の下書きになる」、そんな言葉に力づけられて、解決はしないままでも力強く生きていく決意を京は固めることになるものの、この読後感の複雑さは特筆すべきもので、なんかプラス方向に感想をまとめられなくて困っている自分の現在進行形をお見せしています。困ったなあ。

親が心を病んだ時、子どもはどうふるまうべきか、というテーマをずっと考えています。本書もまた、そうした問題を目の前に突きつけられる物語です。心を病む当人には化学療法と休養とカウンセリングをお勧めするしかないなのですが、関わる家族は何をしたらいいのか、戸惑うばかりかと思います。子どもはたいてい無力なものです。お母さんの病み方の根の深さが、お祖母さんや他の家族に要因があったということを京は知ります。妹に強権的な伯父と、娘に我慢を強いてきた祖母。子どもの頃から家族からの理不尽な扱いのツケを一手に引き受けさせられてきた京の母親。これを「うまれ合わせ」という運命の悲劇だと考えるだけではなく、家族の今後を考える上では、祖母も伯父も伯母も一家でカウンセリングを受けるべきでしょう。無論、そんなことが理解されるはずもないから、こういう状況になるのですが。お祖母さんの考え方の根っこにある歪みは、以前なら美徳であったものかも知れず、お祖母さんもまた我慢を重ねて過去を越えてきた人です。とはいえ、現代の視座からフラットに考えるとひどいエピソード満載で、呆れるほどなのです。かつては、つちんこと親しかった祖母。つちんこが京に教えた、西瓜のことを「夏に泳ぐ緑のクジラ」と、呼ぶことをつちんこに教えたのも祖母であり、彼女の人生もまた苦闘を越えてきたものでした。とはいえ、かつての正解が、未来の正解ではなく、これからを生きていく子どもたちは、かつてのような忍従の美徳を信奉すべきではありません。価値観を転換し、生き方をシフトしていくしかない。そんな示唆に富んだ物語ですが、ともかくもこの偏狭な土地柄に考えさせられます。ともかくも家族が与える心の呪縛を描く児童文学の新しい一手です。