いちご同盟

出 版 社: 河出書房新社

著     者: 三田誠広

発 行 年: 1990年01月

いちご同盟  紹介と感想>

この物語の主人公は中学三年生。作中で十四歳から十五歳になる少年です。彼が友人と、ある約束を交わしたことで「いちご同盟」が結ばれます。それは、二人の十五歳の少年が、百歳まで生きて使命を果たすという遠大な盟約です。1990年の作品ですから、当時の十五歳なら、そろそろ五十歳になっており(これを書いているのは2024年なので、あと少しありますが)、それでもまだこの同盟はあと五十年続くのです。これが十五歳の盟約だから、一五(いちご)同盟であるというのがタイトルの伏線回収です。映画化やドラマ化もされた思春期小説の代表作品。少年と難病の少女の邂逅という、昨今、流行りの余命モノを意識させられるストーリーですが、見事な表現力による描写と、感傷的なものに堕さない文学的な境地に見惚れてしまう、単なる悲恋ものとは一線を画く物語です。心のピントがずっと合わないまま、死ぬことを模索し続けている健康な少年は、いわば心を病んでいます。希死念慮。何か具体的な理由があるわけではなく、漠然と自分のこの後の人生に失望していて、自死を意識している。そんな彼が、瀕死の状態にある少女と出会ったことで、死を望む心に変化が生じます。そして、「いちご同盟」の盟約によって、百歳まで生きて果たさなければならない使命を与えられるのです。心ここにあらずで、うわの空の少年の心に兆した悲痛が、彼に生きる意義を与えるという皮肉を、読者は「怒涛の展開」を通して見守ることになります。哀しみとともに残る文学的余韻が、どうにも胸で騒ぎ続ける傑作です。

音楽室でピアノを弾いていたところを、野球部のエース羽根木徹也に、音楽室の備品のビデオカメラを扱えることを見込まれて、明日の試合を撮影して欲しいと頼まれた良一。同じ中学の三年生ながら親しいわけでもない徹也の不躾な態度に反感を抱きますが、それでも彼の「人の命がかかっている」という言葉が気にかかり、依頼を引き受けます。試合で大活躍して快勝した徹也の姿をカメラに収めた良一は、編集したビデオテープを持って、徹也と一緒に病院へ行くことにもつきあわされます。それは入院している徹也の幼なじみの少女に、試合の模様を見せるためでした。別の中学に通う上原直美と名乗る少女は、どうやら重病であるということを良一は知ります。後日、今度は徹也の負け試合をカメラに収めた良一は、再度、病院につきあうことになりますが、その際に、直美が悪性腫瘍のために片脚を失っていることを知り、衝撃を受けます。有望な野球選手である徹也や、ピアノを巧みに弾く良一が羨ましいという直美は、自分は将来への希望を失っていると泣きながらも明るく笑うのです。直美のことが気になった良一は、やがて一人で、病院を訪ねるようになります。口下手で沈黙を続けてしまう良一が、直美と唯一、話が弾むのが徹也の話題です。直美と徹也の幼なじみの深い関係性に対して複雑な感情を抱く良一。それでも良一と直美は、それぞれが互いに好意を抱いていることを感じ取っています。徹也もまた直美が良一と親しくすることを喜んでくれるのですが、徹也の直美への気持ちを良一はわかっています。やがて腫瘍の転移によって、直美の病状は悪化していき、手の施しようがない状況へと陥ります。タイプの違う少年二人は、わずか十五歳で逝こうとする少女のために同盟を結びます。それは、自分たちが百歳まで生きて、彼女を覚えていること。その盟約は今も守られていて欲しいと、読者として祈念してしまうのです。

思春期の憂鬱なんて、いつか大人になって考えれば、他愛のないものかも知れません。でも、その憂鬱に苛まれて、死を選んだ青少年たちもいます。永遠に大人にならない彼らは次世代の悩める青少年たちに影響を与え続けています。良一は家族と相容れないものを感じながら、自分の将来について悩んでいます。その曖昧な背中を押してくれる人もいないため、進むべき道を選べないのです。良一の愛読書は原口銃三の『二十歳のエチュード』など、若くして自殺した青年たちの手記ばかりです。厭世的な気持ちを持て余しながら、当時、良一と同い年だった小学五年生で飛び降り自殺した見知らぬ少年の気持ちにも近づこうとしている。これは、かなりマズイ状態です。そんな彼が直美と出会ったことで、少なからず、自分の生に意味を見出していきます。他にも唐突に、同級生が無免許バイクで呆気ない事故死を迎えたりと、命の軽重が解体されてしまう展開もあります。一人の人間が、生きていることも、死んでしまうことも、この世界の大きな営みの中のささやかな現象です。だからこそ、その輝きを惜しむべきなのだと、あらためて生の意味を語り、命のバトンを子どもたちに託す物語だと思います。良一の鋭い観察眼は同級生たちの苦衷や、自分の両親や直美の両親の心中を照らし出します。絶対的に正しい大人もおらず、そもそもこの世界に正解もないことを痛感させられます。では、人は何をもって生きるべきか。これが命題です。さて、これまで縁のなかった学校の有名人でスターである徹也と、目立たないけれど考え深い少年である良一に友好関係が生まれ、互いに興味を持ち、認め合っていくあたりが読みどころです。しかも同じ少女を大切に思う気持ちで繋がるという、どこかホモソーシャルな同志感覚が生まれます。ここにばかりフォーカスを当ててしまうと、瀕死の少女の存在がただの媒介になってしまうので考えものなのですが。『ぼくとあいつと瀕死の彼女』という、やはり少年二人と難病の少女をめぐる物語がありました。愛と死を見つめ合うのは二人だけではないのです。