弟の戦争

GULF.

出 版 社: 徳間書店

著     者: ロバート・ウェストール

翻 訳 者: 原田勝

発 行 年: 1995年11月

弟の戦争  紹介と感想>

1990年8月、イラクのクゥエート侵攻に端を発して始まった湾岸戦争は、テレビ放送で中継された最初の本格的な戦争として記録されています。機銃やミサイルなのか、闇夜に花火のように飛び交う攻撃が、ゲーム画像のように映し出されていたことが、自分のリアルタイムの記憶にも残されています。侵攻したイラクをアメリカを中心とした国連の多国籍軍が制圧した、その戦闘は、テレビ画像に映し出された空中戦だけではなく、過酷な地上戦もあり、実際どのような戦闘が行われていたのか、それが各国のお茶の間に届いたか、当時の子どもたちの心象に刻まれたかはわからないところです。日本国内でも多国籍軍をどう支援するか、戦争協力の賛否も含めて論点になっていました。ここではないどこか遠い場所で起きている戦争に対してどう心を寄せていくか。ニュース報道でしか戦況を知り得ない我々は、偏向報道があればフラットな判断力を失います。そもそもその戦争の大義でさえ、報道解説で理解させられているのです。人道の観点に立てば、戦争自体、即刻放棄すべきものです。ただ調停の道を探るにしても、その大義について、双方の立場から理解する必要があります。本書はイギリスに住む少年が、当時、湾岸戦争で局地戦を闘っているイラク軍の少年兵士と精神的にシンクロするという不可思議な物語です。超常的な奇想の物語ですが、真意とするところは、他者の立場や考え方にアプローチすることであり、一方的な正義がありえないことも感じとらせてくれます。戦争が身近にない幸福な国に暮らす子どもたちもまた、それを体感できる物語です。

三つ歳下の弟のアンドリューのことを、トムは愛情を込めてフィギスと呼んでいます。心優しく、一風変わったこの弟は、突飛なことを言い出したり、霊感めいた力で、不思議な現象をトムに見せてくれることもありました。知らない人の名前がわかったり、変わった夢を見たり、その行動はトムをずっとワクワクさせてくれるものでした。そうした中で、フィギスは自分の見る夢にとりつかれることがしばしば起こるようになります。トムがもうすぐ十五歳、フィギスが十二歳になる時、あの事件が起きます。時は1990年8月。イラク軍のクゥエート侵攻から湾岸戦争が始まり、イギリスに住むトムたち家族にもそのニュースが届きます。ラクビー選手で一本気な父親は、サダム・フセインを毒づき、母親にいい加減にして欲しいと言われるほど。でもそれはまだ、ごく普通の家庭の光景でした。フィギスに起きた異変は、いつものように夢にとりつかれること。でも、今回は、湾岸戦争を闘っているイラクの少年兵がフィギスに憑依しているようなのです。トムはフィギスに憑依した、ラティーフという名の少年兵の話を、最初は面白がって聞いていました。フセインを英雄だと語る少年兵の言葉は、多国籍軍側の報道だけを聞いていたトムに新鮮な驚きを与えます。最初は英語で会話ができていたのに、次第に憑依は強まっていき、やがてラティーフがフィギスの主体となり言葉も変わっていきます。別人格から戻ってこれなくなったフィギスは、その少年兵としての奇態から精神科に入院させられるようになり、アラビア語のわかる医師の治療を受けることになり、湾岸戦争の戦局が窮まっていくとともに、深刻な状況になっていきます。多国籍軍がフセインを撃破することは、ラティーフの命に関わることです。トムはこれまで見ていた戦争報道をイラク立場から意識するようになります。稀に、ラティーフから意識を取り戻すフィギスは、ラティーフを通じて戦争を体験しており、この戦いを見届けるのだとトムに話します。戻ってこれないフィギスを見守りながらも、戦争の終局は近づいていました。その時、フィギスはどんな光景を目にしたのでしょうか。 

何年ぶりかわからないほどの時間が経ってからの再読です。現在(2023年)、海の向こうで戦争が起きているという状況に鑑みて、考えさせられることが多い一冊です。侵攻する側の正義について、一少年兵の立場で語られる言葉と、その言葉に平和な国の少年が動かされ、自分の国で信じられている戦争の大義に疑問を持つ展開は、今、伝えられる戦争報道をあらためて考えさせられる契機になります。自分から調べることをせず、受動的になっていることを反省させらます。一方で、この物語は、超常的な力によって結ばれた奇跡が題材になっています。それによって、主人公の弟は瀕死の状態にまで追い込まれますが、その危険な魔法が解けてしまうことの喪失感を兄である主人公が抱いていることも感じ入るところです。変なことを言い出したり、突飛な行動ばかりの、傍迷惑な友人が次第に大人びて、なんだかつまらない人間になったなどと、自分を棚に上げて思うことがあります。その奇態でファッシネイトする人に翻弄され、わくわくするような想いを抱いてしまう自分には、その人への愛着や憧憬もまたあったのではないか。マジックタイムの終わりは、自分にとっても子ども時代の終焉なのかも知れず、いつか見た奇跡とともにあった時間が惜しまれるものです。物語のディテールを忘れていて、最後、どうなるんだったかと思い出せずにいました。この結末は、歓ぶべきであり、同時に残念でもあるという、不思議な感慨を読者に与えます。人生もまたトレードオフやゼロサムであって、存外、つまらないものになるものなのか。イラクの少年兵に憑依されて瀕死の状態に陥るような非凡すぎる体験は、弟になにを与えたのか。それを側で見ていて疼く兄の心の動きにサムシングがあるのです。その胸騒ぎのする帰結も含めて堪能できる奇想の物語です。