ちいさな宇宙の扉のまえで

続・糸子の体重計

出 版 社: 童心社

著     者: いとうみく

発 行 年: 2022年06月

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いとうみくさんのデビュー作『糸子の体重計』(2012年)から十年を経て刊行された続編です。物語の中の時間は一年しか経過していません。この十年などなかったかのように、お馴染みの登場人物たちが顔を揃えた教室が目の前に現れます。今回、あらためて『糸子の体重計』から読み返したのですが、違和感なく、続きとして読むことができました。ただ、この十年で少なからず世の中は変化しており、児童文学もまた進化しています。『見た目」の問題は、コンプレックスからルッキズム(見た目重視主義)を考えさせるものとなり、ダイバーシティ(多様性)を意識することも基調になっています。物語の中の小学生の意識だって変わります。そんな要素を考えることも読みどころのひとつとなっています。登場人物たちの性格的な特徴は前作通りです。とはいえ、学年がひとつ上がったことの影響はあります。五年生と六年生とでは大きな隔たりがあります。子どもは自ずと大人びるものです。自分が子どもであることを意識してしまった時が、その始まりかも知れません。六年生はそんな時期で、本書の子どもたちにもそうしたものが込められています。周囲の同級生たちの変化に関わらず、天真爛漫な糸子は、マイペースにいつも食べもののことばかりを考えている食いしん坊キャラを装っているわけですが、その心中に兆すものはなかったか。思春期の葛藤を深めていく周囲とのギャップがまた面白いところです。前作も振り返りつつ鑑賞したいと思います。

細川糸子。その名前に反して、太めだけれど、そんなことは気にしない大らかな性格。なによりも食べることが大好きで、男子に混じって、給食のおかわり争奪戦に果敢に挑んでいく勇猛果敢な女の子です。遠慮会釈なくズバリと言いたいことをいう竹を割ったような性格。だけれど、人を傷つけるようなことは言わないのは、気づかいではなく、ナチュラルな彼女の天分です。人に真剣に向き合い、思ったことを口にする。それは時に真を穿ち、小さなプライドに翻弄されている同級生たちの虚をつくことになります。周囲からは無神経でガサツに見られがちですが、その素直で真っ直ぐな気性を愛する同級生たちもいます。もっとも、個性がぶつかり合う小学校の教室では、反目上等で、糸子のようなタイプとソリが合わないことを明確に表明する子たちもいるのです。そんな中でも町田良子の糸子に抱く気持ちは複雑です。シングルマザー家庭でバレリーナを目指している、見かけも美しく気の強い少女は、親との関係や自分の才能の壁に直面ししてもがいています。糸子とぶつかるのは、糸子の悩みのなさそうな脳天気ぶりに腹が立つから、でありながら、その実、糸子以上に糸子の気持ちを斟酌する複雑な愛憎を抱いています。そんな町田良子の友だちである坂巻まみは、憧れている良子を守りたいがため、煩わしい糸子に敵対しますが、そこには微妙な嫉妬が見え隠れします。良子の幼なじみでやはりシングルマザー家庭の男子、滝島径介は、糸子と給食おかわり争奪戦を繰り広げる活発な少年ですが、家の経済状態や母親をめぐる問題に心を悩まされています。そんな滝島に好意を抱いているのは、糸子の親友で、糸子よりも大柄な少女、高峯理子。コンプレックスがあって気弱な彼女は、自分を卑下しがちですが、それでも少しずつ前を向いていこうとしています。そんな悩める子どもたちの葛藤渦巻く教室で、一見、悩みのなさそうな糸子がもたらすものに、周囲が影響を受けていく群像劇の面白さが詰まったシリーズです。彼らが六年生となった本書では、新たに転校生でトラブルメーカーの日野恵を加え、またまた複雑な彼女の内面も語られながら、教室で見えるものと見えないものが交錯する子どもたちの世界が描かれます。小学校卒業を間近にした、ちいさな宇宙の扉のまえで、未来を模索する彼らの、葛藤や気づきや成長が鮮やかに描かれる作品です。やはり、前作も振り返って、続けて読むことをおすすめします。

物語には「いじめっ子」や、クラスの有力者にへつらう「腰ぎんちゃく」などイヤなキャラクターが必要です。本書で言えば、坂巻まみが、それに当たります。ナチュラルにひどいことを言って、周囲を傷つけたりしますが、そこには当人の心の事情があり、自分なりの正当性があるものです。町田良子のことが第一で、彼女を害するものはゆるせない。その業の深さが、物語を面白くするわけですが、本書では前作にも増して、彼女の想いが溢れています。憧れの町田良子にずっと近づいていたいけれど、迷惑にもなりたくないので適度に距離をおく気づかい。町田良子が自分に関心がないのをわかっている哀しさを感じながらも、それでも愛さずにいられないのです。本書では、この愛が、もしかすると恋愛感情なのではないか、という疑念を彼女自身が抱きはじめる超展開が見どころです。時代は、女の子同士の恋愛を許容するフェイズです。この十年でそこは加速したと思います。LGBTQの概念が小学生にも普及している2022年に刊行された本書は、前作とは違う世界線にいます。この世界観タイムスリップもまた味わいどころかと思います。やはり『糸子の体重計』ありきなのですが、あの作品の大きさを思います。あらためて読んでも、新人離れした筆致に初見の時の驚きを感じます。とはいえ、いとうみくさんが『糸子の体重計』でデビューされると知った当時、嬉しかった反面、本来は、いずれどちらかの公募新人賞を受賞して華々しくデビューされるはずなのに、と思っていた自分にとって少なからずショックだった記憶があります。自分はすぐに諦めましたが、少し創作をかじったことがあり、その頃、公募界隈のトップランナーだった、いとうみくさんは憧れの存在だったのです。もっとも、この見事な構成で子どもたちの世界を描く『糸子の体重計』で児童文学者協会新人賞を受賞され、それ以降の躍進もご存じの通りです。特に『朔と新』で野間児童文芸賞を受賞された際は自分も快哉を叫んだほどです。実力のある作家さんがちゃんと評価され、また秀逸な作品を刊行され続けることを、嬉しく思っています。いずれにせよ、この十年、現代児童文学のトップランナーになられた、いとうみくさんから目が離せないところです。