ひねり屋

WRINGER.

出 版 社: 理論社

著     者: ジェリー・スピネッリ

翻 訳 者: 千葉茂樹

発 行 年: 1999年09月

ひねり屋  紹介と感想>

小学生男子の偽悪志向について、自分の過去も振り返りつつ考えています。真面目であることよりも、ちょっとワルい方がクールという価値観。男子はほぼこの考えに支配されていると思っています。人によっては、かなりの年齢になっても引きずってしまうものかも知れません。実際は、それが自分の本意ではなく、周囲からどう思われるか、ということが第一になっているのが曲者です。男子のプライドとして、勇気のない弱虫と思われることは避けたいことです。なので、ワルぶってふるまってしまうのですが、そういうタイプでもないのに、無理に強がってしまうのは、仲間意識や連帯感という蜜の味があるからでしょう。そして、バカにされたり、侮られたくないという気持ちも強いからです。かくして、男子はやりたくもない蛮行に加担することになります。この物語に登場する町は、なかなか粗野なところです。誕生日には歳の数だけ腕を殴られるという、理解不能な通過儀礼があったりします。なによりも、十歳を迎えたら「ひねり屋」になるという運命も待ち受けているのです。町のファミリーフェスティバルでは、放たれた五千羽の鳩を銃で撃ち落とすという鳩撃ち大会が行われます。この時、地面に落ちた瀕死の鳩の首をひねってとどめを刺すのが、ひねり屋の役割です。鳩は平和の使者ではなく、「羽の生えたドブネズミ」ぐらいにしか思われていません。男子にとって鳩の首をひねって殺せる非情さは誇るべきこと。とはいえ、まあ殺生は嫌なものです。ペットとして鳩を飼っている少年には尚更です。この「鳩を皆殺しにする町」で、鳩への愛に目覚めてしまった少年は、どう行動したのか。あらかじめ腰は退けていて、起死回生の手だてもない、守勢に立つだけの闘いです。いっそ本物のワルになれたら良いのに、偽悪的な世情に逆らって生きざるをえない。そんな子どものいたわしさが炸裂する物語です。ニューベリー賞オナー受賞作。鬱ぎこみたくなること必至の読後感を是非。

ファミリーフェスティバルでは一週間にわたって、さまざまなイベントが開催されます。演芸ショーやソフトボールの試合、ゴーカートに、コンテスト。そして、メインイベントとなるのが「鳩撃ち大会」です。箱に詰められて運ばれてきた五千羽の鳩が放たれ、それをシューター(射撃手)たちが撃ち落とす。その参加費は公園の維持費として活用されています。撃たれて地面に落ちた鳩にとどめを刺すのが「ひねり屋」と呼ばれる少年たちです。鳩の首を捻って息の根を止める。このイベントは町の伝統行事であり、この町の十歳以上の少年は「ひねり屋」になることが定められていました。それは少年たちにとって、胸が躍るような憧れでした。とはいえ、例外的な子もいるのです。パーマー・ラルーは「ひねり屋」になりたくないと思っている珍しい少年です。しかし、ビーンズたち学校のワル仲間に加えてもらったパーマーは、そんな内心を知られるわけにはいきません。そもそもパーマーには何故、鳩が殺されなければならないかわからず、逡巡するのです。鳩はどうして撃たれるのか。かつて少年時代に、ひねり屋を経験し、後にトップシューターになった父親には聞いても仕方がないことです。そんなパーマーの部屋の窓辺に一羽の鳩がやってくるようになり、うっかり餌付けしてしまったことから、パーマーの苦悩が深まることになります。家族にも友だちにも内緒でニッパーと名付けた鳩を匿い続けるパーマー。心配をよそに、迂闊なニッパーは思わぬ場所に現れ、パーマーに親しげによってくるのです。ワル仲間たちの前で偽悪的にふるまってきたパーマーのメンタルも限界が近づいていました。悪い予感しかしない物語は、緊張感をみなぎらせ、終局へと向かっていきます。

少年時代の迷走全開のいたたまれない物語です。それでも、パーマーが完全に孤立無援というわけではないということに救われます。近所に住む女の子、ドロシーはパーマーに好意的です。しかし、パーマーはワル仲間の手前、ドロシーいじめに加担せざるを得ません。ビーンズたちワル仲間はかなり粗暴で、実際のところ、パーマーもぞんざいに扱われています。それでも、仲間として認められたいというパーマーの渇望には哀感さえ覚えます。動物を無闇に殺したくない。イヤなことはイヤだと言うこと。勇気を持って立ち上がること。とはいえ、ここは「鳩を皆殺しにする町」なのです。町をあげてのイベントに水を差すことが、気弱な少年にできるのか。どうにもならない理不尽を呑みこみながら人は成長するものだとしても、少年の心に芽生えた純粋な気持ちは尊く、そこに惹き寄せられます。自分の少年時代を思い出すと、「周囲に合わせて」、心にもないこと、を言ったりやったりした記憶に苛まれます。問題はその周囲の空気を自分も一緒になって作っていたことであって、もしかしたら自分がリードして、周囲を巻き込んでいた空気なのかも知れないことにゾッとします。ということで反省しきりです。ところで、気になるのが、町でいちばん恐れられている伝説のひねり屋ファーカーです。主人公の少年たちより、やや年長の体の大きな少年のようですが、誕生日を迎えた少年の腕を殴る通過儀礼を与えるのが彼の役割です。一方で、その痛みに耐えた少年をさりげなくねぎらってくれたりする。パーマーもまたアザのできた腕を誇らしくなってしまうわけです。少年時代のケガ自慢などもまた、しょうもないものですね。このファーカーという少年、何を考えているのかさっぱりわからないところですが、多くの物語を秘めていそうです。スピネッリ作品のこの匂いは実に蟲惑的です。色々なタイプの少年たちが変わっていく苦い季節が描かれるのが、スピネッリ作品の魅力ですね。