まだ見ぬ春も、君のとなりで笑っていたい

出 版 社: スターツ出版

著     者: 汐見夏衛

発 行 年: 2019年02月

まだ見ぬ春も、君のとなりで笑っていたい  紹介と感想>

十把一絡げにしてはいけないのですが、スターツ出版作品(ケータイ小説系)は、非常に健全な倫理観と真面目さがあり、人間関係の正しいあり方をストレートに見せてくれます。本作はその中でも、純粋なエッセンスを抽出された一冊かと思います。わだかまりのある同士が、話し合うことで、互いの気持ちを理解し、わかりあえる。親や友だちとの関係で、心を痛めていた主人公が、この和解を迎えるところが大きなカタルシスになっています。恋愛もまた、お互いの心中を理解しあうことで育っていきます。やはり、基点にあるのは、ちゃんと胸の裡を打ち明けることです。「話せばわかる」は「問答無用」とセットで、甘い理想と思われがちですが、言葉にしないことで、互いの誤解が取り返しのつかないことになっていくことは避けなければならないと思います。本書もまた主人公が、周囲の人たちとの関係性を回復しながら、失恋の痛手を癒し、将来への不安を希望に変えていくことで、前を向いて生きていくことが描かれます。シリーズ前作では悩める主人公の友人として対比的に描かれていた登場人物が、今度は主人公となるスピンオフ。それは、誰もがそれぞれに悩みを抱えているのだということを示しています。ケータイ小説系でありがちな、余命も奇病もファンタジー的な仕掛けのないケレン味のない展開ながら、真摯に周囲の人たちに向き合い、話をすることで、わかりあう物語。それは存外、勇気がいる行動を主人公に託していますが、人はわかりあえるのだという理想がここに輝いています。

進学校に通う高校一年生の女子、広瀬遙(はるか)は、上手くいかなくなっている毎日に頭を悩ませ、心を痛めています。将来の進路を考えて、コースを決めなければならない時期にきており、先生から督促されながらも希望を提出できないでいるのは、自分には何もやりたいことが見つからないからです。自分の仕事で活躍している母親からは、国立大に医学部に進んだ努力家の兄と比べられて、遙が自分の目標を持たずにいることを叱られてばかりいます。遙を悩ませているのは、そればかりではなく、失恋の痛手にも苛まれていました。好きになった男子に告白して振られ、その彼が好きだったのが自分の親友の遠子で、二人が付き合うことになり、そのために遠子は遙たちのグループから、遙を傷つけた裏切り者としてはぶかれることになったのは遙の本意ではないにも関わらず、遙の肩を持ってくれる友人たちの手前、孤立する遠子になにもできないという板挟み。失意と自己不信から、ひそかに公園で号泣するというルーティンを繰り返していたそんな遙が、ある日、出会ったのが、天音(あまね)と名乗る同い年の少年でした。天使のように美しい外見で、遙を気づかってくれる彼は、歌を唄うことはできるのに、声で会話することができないために、遙に筆談で話しかけます。この偶然の出会いと、後の再会から、遙は天音と喫茶店で会い、語り合うようになります。優しく自分の気持ちを受け止めてくれる天音に、心を癒されるようになった遙は、やがて友人たちや母親との関係を修復していきます。そして、おそらくは心因的なことで声が出せない天音のことを医学部の兄に相談し、彼にアドバイスしようとしたことで、その大切な関係を壊してしまうことになります。もちろん、天音には声を出せなくなった事情があります。好きだった音楽を手放してまでも、償わなければならないと天音が思い悩む心の事情に、その胸の裡にある痛みを、今度は遙がわかちあおうとします。多くのわだかまりが、やがて氷解していく幸福な物語です。人を思いやる気持ちが誤解を生み、過ったアクションで人や自分を傷つけてしまう。それでも、言葉を交わすことで、柔らかく、その綾が解けていく優しい空間が描き出されます。

遙のお母さんが癖のある存在ですが、わからず屋の母親というストックキャラクターから、その心中が垣間見えていくあたりが良いところです。医学部に進んだ長男に引き比べて、将来への希望や夢を持っていない娘をお母さんは叱咤し続けます。自分の意志がはっきりしない遙は、これまで何をすべきかお母さんに決められてきたために、自己肯定感が低くなり、自分で何も決められないアダルトチルドレン的傾向を示していくようになります。お母さんは自分が仕事で成功していることを自負して、お父さんを無気力なサラリーマンだと批判します。娘としては、そんなお母さんには違和感を抱かざるをえないのですが、お母さんが自分の進学希望を諦めざるを得なかった家庭事情や家族への想いを知るに及んで、わかりあうアプローチができるのです。小さなエゴは誰しも持っているものだし、どこまでを許容できるかは人としての鷹揚さかも知れません。それでも人の基調には善意があるのだということを信じる。これはやはり尊いスピリットではないかと思うのです。まともに話にならない人もまた世の中には存在します。自分勝手な理屈で自己正当化し、他人を傷つけることも気に留めもしない。そんな人とでもわかりあうことができるかどうか。ハラスメントを撒き散らす人に寛容な態度をとる必要はないし、まあ、やっかいな人とは距離を置くことが正解でしょう。自分の魂をすり減らしてまで、人と関わらなくても良いのではないかと思います。ただ、もう一歩踏み込めば、人の真意が見えてくる可能性もあります。また、その態度は、それぞれが良かれと思っている、ややズレた善意である可能性もあります。ここに一歩踏み込む勇気とエネルギーが必要です。人はわかりあえる。その理想を実践したいものです。本書が灯す希望は、困難な道を明るく照らしています。