はなの街オペラ

出 版 社: くもん出版

著     者: 森川成美

発 行 年: 2021年05月

はなの街オペラ  紹介と感想>

この物語、大正七年に始まり、大正十二年までが描かれます。往年の名作少女漫画『はいからさんが通る』(大和和紀)とほぼ同じ時間域で進行する物語であり、勿論、世相や時代背景も一緒です。ヒロインの前に、やたらと「いい男」たちが現れるという点も共通していて(ドイツ人とのハーフの青年も登場しますし)、ここも昔の少女漫画感があるのですが、「モテていることに無自覚なお転婆」ではない、主人公のキャラクター造形は現代作品のリアリティがあります。主人公の少女、はなは、当人が強い志向性を持ちえないままに、当時の浅草で隆盛を迎えていた大衆的な和製オペラの舞台で歌い演じることになります。いわゆる「巻き込まれ型」でありながらも、音楽に特別な才能がある彼女が喝采を浴びていくあたりには興奮を覚えます。自分に自信が持てないまま舞台に立ち続けるものの、歌うことの楽しさや、聞いてくれる人たちの歓びの声に、その魅力に抗えなくなっていく、はな。この作品のキーワードは「ミューズに魅入られる」ことです。あるいは「ミイラ取りがミイラになる」です。音楽でも文芸でも美術でも、芸術の美に心を奪われてしまうと、現実感のある生活なんぞよりも、そちらが大切になってしまい、気がつけば包帯でぐるぐる巻きの状態になるものです。そこに後ろめたさを感じながら、押し合い引き合いする主人公の葛藤もまた物語の魅力です。もちろん来るべきフルスロットルの瞬間があり、カタルシスは極まっていきます。ギアが最初からハイに入るわけではなく、恐る恐る踏み出す先に、道が開かれていく。ブレーキをやたらと踏んで、迷いながら、戸惑いながらだけれど、音楽と舞台の悦びには抗えない。あの時代風俗や世相の中で、お転婆にもモダンガールにもなり得ない、ごく等身大の主人公が、それでも胸にミューズの火を灯し続ける魅力的な作品です。まずは大正時代の浅草へ、ページをめくってトリップしていただきたいところです。

栃木県の村から十四歳で奉公に出された、はなは、東京の井野一郎という作曲家のお屋敷でお手伝いをすることになります。ひとり不安な気持ちを抱えたまま上野駅に降り立った、はなを迎えにきたのは、井野家の書生だという笛木響之介と名乗る美しい青年でした。ドイツ人の父親を持ちながら、江戸っ子口調でぽんぽんと物を言う彼は、音楽学校に通い、井野家の子どもの歌の練習のためにピアノを弾くと言います。はなもまた、音楽が好きで、どんな歌も一度聞けば覚えてしまうという特技がありました。忙しいお手伝いとしての生活の気晴らしで、洗濯物を干しながら歌を口ずさむ、はなが、お嬢さまが習っていたコンコーネを「理解」していることに、響之介は驚きます。はなの音楽の才能に気づいた響之介は、歌の指導の手伝いをさせるようになります。世話になっている、主人である作曲家の井野一郎が主宰する浅草オペラを「いいかげんな歌芝居」と批判する響之介は、井野とは複雑ないわくがあり、やがて井野を裏切り、対抗する劇団で歌手となって、人気を博していきます。本格的なオペラを目指す響之介の芸術への熱意に圧倒されながらも、一方で軽妙な浅草オペラにも心惹かれる、はな。響之介への使いのついでに彼の舞台を見ることになった、はなは、急病で病院に運ばれた主演女優の代役を響之介に頼まれます。思わぬなりゆきから、舞台に立つことになった、はな。覚悟もないままに、谷ハンナという芸名を名乗ることになった彼女の心に兆したのは、「やってみたい」という思いでした。初舞台の緊張と観客の歓声には読者もまた興奮を覚えるでしょう、。因習的で封建的な田舎出で、両親が維新前の生まれであるという時代感で育った女の子が、生き方に悩みながらも、お仕着せもレールを外れていく。そこには、ミューズと、あとまあ「いい男」たちがいて(モテ方が微妙なのも良いところ)、ドラマは進み、あの大事件が起きる大正十二年へのカウントダウンが進んでいくのです。ともかくも少女視線で描かれる当時の文化風俗の鮮新な描写に息を呑みます。また佐々紅華に代表される、通弊した「浅草オペラ」イメージだけではない、浅草の舞台状況なども非常に興味深いところです。

一時期、児童文学とコロッケの関係を考えていて、日本のコロッケ史も調べていました。当然のように出てくるのが、浅草オペラ発のヒットナンバーでもある『コロッケの唄』です。この物語でも、「いいかげんな歌芝居」側の通俗的な楽曲として例証されています。ところで、自分も聞きかじりで誤解していましたが、「今日もコロッケ、明日もコロッケ」という歌詞は、毎日、コロッケばかりでウンザリということではなく、当時、高級料理だったコロッケが毎日食卓に出てくる贅沢感を自慢するものだったとか。あの時代の庶民感覚はもはや遠いものなのですが、この物語は、あの時代に花咲いた文化の徒花を、実に、臨場感をもって味あわせてくれます。舞台はまさに生きていて、観客の歓声や共感が、あの空間を作りだしていました。戯曲や楽譜からは見えてこない劇場の興奮が物語では再現されます。本書では、観客の掛け声に応えて丁々発止のやり取りをする役者の器量など、かつての劇場の賑わいが活き活きと目の前に浮かびあがります。一方で、田舎出で封建的な良識に縛られて生きている、けっしてモダンガールにはなりきれない主人公が、思いがけず浅草のスターになり、それでも自分を深く内省して、ミューズとともにある生き方を選んでいく姿は胸を打ちます。著者の作品は、過去の時代を舞台にしていても、現代的でグローバルな視野を持った人物が登場することが特徴的ですが、今回は時代感を背景にした芸術至上主義と主人公のスタンスの妙が興味深いところでした。昨年(2020年)、宝塚歌劇団(花組)が『はいからさんが通る』をミュージカル化した作品を大劇場で再演したのですが(見に行きました。新トップ演じる少尉の再現率の高さよ)、浅草の賑わいの場面も楽しく、本書も舞台化やドラマ化されると素敵だろうなと思いました。こんなことを書きながら、頭の中では、本書の最後に登場する『メリーウイドウ』の楽しい楽曲が流れっぱなしです。まさに、音楽は、はなのように口ずさまずにはいられないものですよね。