ぼくたち、ロンリーハート・クラブ

Tor och hans va¨nner.

出 版 社: 小峰書店

著     者: ウルフ・スタルク

翻 訳 者: 菱木晃子

発 行 年: 2001年11月


ぼくたち、ロンリーハート・クラブ  紹介と感想 >
「人に同情するときには詫びながらしなければならない。同情ほど人を傷つけるものはないのだから」というフレーズが太宰治の文章にあった気がしますが、引用好きな太宰治のこと、なにか原典があるのかも知れません。ロンリーハートやブロークンハートが身上の太宰スタイルとしては、「同情される立場のオレ」の悲しみと強がりと自己卑下と、でも、そんなオレがちょっと好き、で短編小説が一本書けてしまうのかも知れません。実際、「同情される」ということは、かなりキビしいものです。同情されると「可哀相な自分」を意識して、不甲斐無く、情けなくって、余計、泣けてしまう。そうか可哀相だったんだ、オレは。気づかなくていいことにも気づいてしまう。そっとしておいてください。じっと布団をかぶってうずくまっていたい。なかなか、この状態から一人で立ち直るのは難しいものです。そんな時に、誰かのささやかな「励まし」に救われることもある・・・のかな。「同情」と「励まし」は、どう違うのでしょう。とてもデリケートで、デリカシーが必要とされる問題。人の心に近づくことは難しいもので、自分自身の独善的な奢りを意識してしまって、あらかじめ傷ついてしまい、人との距離を置いてしまいがちです。でも、それでは誰も励ますことなんてできやしない。子どもたちが、他人に対して心を寄せるとき、そうした自意識の軋轢に悩まされることもあるのでしょうか。本書『ぼくたち、ロンリーハート・クラブ』は、心がねじれて複雑骨折したような大人たちが忘れてしまった、まっすぐな善意が奏功するハッピーな物語です。

誰もが友だちや恋人から、楽しい手紙をもらえるわけではない。世の中には請求書しか郵便物の送られてこない人もいるのだ。トールが、そんな当たり前だけれど、深刻なことに、はじめて気づかされたのは、ママの職場である郵便局でのこと。手紙なんてひとつもこなくて、話し相手もいないコドクな人。そんなコドクな心を抱えた人たちに、役立つことはできないか、とトールが、友だちのアーネ、オルソン、イザベルたちとたちあげたのが『ロンリーハート・クラブ』です。世の中のコドクな人を探しだし、全力で喜ばせてみる、そんなクラブ。ところが「あなたひとりぼっちで、さびしい人なんでしょう」と聞いても、大人たちは怒りだすばかり。こんなへんてこなクラブを作った少年少女たちは、コドクな大人たちの心をなぐさめることはできるのでしょうか。とまあ、こんなストレートで優しい物語。ウルフ・スタルクが描き出す、ユーモラスだけれど、ちょっと寂しさを抱えた大人たちが、あの児童文学的世界で、素直な瞳の子どもたちと出会う。おなじみのペーソスあふれるスタルク・ワールドは、ちょっとホロ苦くもまた、生きる喜びを謳いあげます。グルグルと自分自身の思惑さえ深読みしすぎてくたびれ果てている大人の皆さんにおすすめの一冊。心が疲れたときには良い作品ですね。

「ひとりぼっちでさびしいこともあるよ」と言いはするものの、たいていの大人は、コドクでも平気なものです。幸福に育った子どもたちが、そんな寂しい人たちのことを真剣に考えて、深刻になったり、頭を抱えてしまうほどではない。恐らく、大人は「孤独を飼いならす」ことも、「孤独とうまくつきあう」こともできるのですね。そして、孤独な時間が養ってくれるものもあるのだということも知っている。今はひとりでいても、さびしいだけではない。子どもたちは、一所懸命にコドクでさびしい大人たちのために、できることをしようと思います。僕は、この物語を読みながら、ちょっと危険な匂いを感じていて、もしかすると、このお話は、子どもたちが自分たちの「驕り」に打ちのめされる帰結が待っているのではないか。同情されることの痛みを知ってしまうのではないか、と勘ぐっていました。結末は書きませんが、なんだろう、大人って、さらに、もう一枚、二枚、上手なんですね。子どもたちが、大人が「ああ、僕はひとりぼっちでさびしいかもね」と素直に口にできることの「本当の意味」を知るのは、多分、ずっと先なんだろうけれど。ちょっと、色々と考えさせられた本です。うまく説明できなかったけれど、伝わりますかね。”

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