パパさんの庭

洋平のバンクーバー日記

出 版 社: 講談社

著     者: 三輪裕子

発 行 年: 1989年07月


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カナダ国内有数の湾港都市バンクーバー。リッチモンドは、バンクーバーの南にある大きな島で、洋平はここで夏休みを過ごすことになりました。小学五年生が海外で過ごすバカンス、なんて羨ましい気もしますが、やや複雑な家庭事情があります。洋平のお父さんは、魚の買いつけの仕事で海外を飛び回っているビジネスマンで、日本にはめったに帰ってきません。夏を前にお腹に赤ちゃんがいるお母さんが妊娠中毒症で入院することになり、洋平はおばあさんのもとに預けられます。ところが、おばあさんも入院しているお母さんの付き添いと洋平の面倒を見る忙しさにあえなくダウン。そこで、この夏休み、洋平はお父さんの知り合いのカナダに住むパパさんのところに預けられることになったのです。まるで邪魔者あつかいだ、なんて気持ちが洋平の中で膨らんで、お母さんのお腹の赤ちゃんにもやつあたりしたくもなります。当初、海外で過ごす夏休みに洋平も期待していましたが、どうもパパさんの家での暮らしは、あてが外れた感じです。カナダ移民の日系一世のパパさんは八十八歳。二十二歳年下の奥さんである日系二世のママさんと二人で暮らしています。パパさんやママさんは洋平のことを歓待してくれますが、同じ年ごろの遊び相手もおらず、お父さんも忙しくてなかなか訪ねて来てくれません。洋平の不満は溜まり続け、寂しさと悔しさを募らせていました。

お父さんが週末に一緒に行こうと約束してくれたグラウス山。仕事の都合で行けなくなってしまったことで、また洋平は悔しい思いをします。腹を立てている洋平に、ママさんは、いっそひとりでグラウス山に行ってみたらどうかと提案します。行き方もよくわからないし、英語もできない自分にそんなことはできっこないと思いながらも、挑戦心がわいてきた洋平は、ひとりで山に行くことを決意します。ちょっとした冒険がはじまります。戸惑いながらもバスを乗りつぎ、なんとかグラウス山までいくことができた洋平は、自分ひとりでここまでこられたことに大きな喜びをえます。山の上から太平洋を見下ろした時、洋平は、七十一年前、わずか十七歳でカナダにわたってきたパパさんの思いを知ります。せまい日本をぬけだし、広い国で思いっきり働いてみたかったというパパさん。知らない外国の町をひとりでうろつきまわる心細さを知った洋平は、十七歳のパパさんを目に浮かべ、その勇気に感銘を受けます。そして、次第に洋平の意識は変わっていきます。パパさんやママさんがどんな暮らしをしながら、このカナダで生活をしてきたのか。日本との戦争の頃には八年にもわたって収容所に入れられていたという話も聞きます。お金もあり、高齢であるにも関わらず、まだまだ仕事はできると働き続けるパパさんやママさんたちのスピリット。子どもがいない分、日本からきて働いている寂しい思いをしている人たちを励まし、勇気づけてきた二人の気持ちの温かさに、洋平の心も満たされていきます。洋平のお父さんもまたそうした寂しいビジネスマンの一人であり、日本に帰りたくても帰ってこられなかったお父さんの気持ちを洋平は理解するようになります。やがて赤ちゃんが生まれる時、少し成長した洋平はどんな気持ちでその瞬間を迎えられるのか。自分のことばかりだった少年の目が開かれていく瞬間が鮮やかに描かれる作品です。

実に伸びやかな作品です。山登りやキャンプなど、子どもたちが能動的な体験をすることで内面の成長が育まれていく光景を、三輪裕子さんの物語ではよく見かけます(なので、最後の新美南吉賞受賞作となった『優しい音』のような教室の不協和音を題材にした作品の方が意外な気がするのです)。田舎体験や海外体験のように、異文化に飛び込むことで得られるものは多いし、おじいさんおばあさんから過去の話を聞くことで広がっていく心の世界もあります。最初はちょっとひねくれていた洋平が、最後にはちゃんとまっすぐになるあたり、予定調和ですが、物語を読み終えた後には心地よさが残ります。海外に行くことも特別なことではなく、子どもの生活の中でもごく普通にある出来事になり、この後、児童文学の中でも海外を舞台にした作品を定期的に見かけるようになっていきます。知人で、海外のホームステイ先でホストファミリーに何故か冷たくされて、不信感だけを募らせて帰ってきた人がいましたが、まあ、そんなアンラッキーな事例は子どもたちには隠しておくとして、今後も海の向こうへの期待感を抱かせるような作品が登場するといいですね。