ラリー

ぼくが言わずにいたこと
The gospel according to Larry.

出 版 社: 主婦の友社 

著     者: ジャネット・タージン

翻 訳 者: 田中亜希子

発 行 年: 2007年04月


ラリー 紹介と感想>
身軽になりたい、というのは、体重だけではなく、あらゆる欲望からも解放されたいという切なる願いです。とはいえ、完全に欲がなくなってしまうというのも寂しいものではないかと。健康なら食欲がなくても良いかというと違う気がするし、所有という概念から逃れ、全てを喜捨して生きる、などというのは、世捨て人の域ですね。ギラギラしているのも厭だけれど、パサパサしすぎているのも潤いが足りない。社会的な関係性や、何に帰属し、何を所有しているかということ、そうしたところから逃れて、素の自分の感受性だけで世界と対峙してみたいと思いつつ、まあ、色々とそうもいかないことを踏まえて、理想と折り合いをつけているのが我々の日常かも知れません。折角、世界と渡りあえるインターネットというメディアを有しているわけですから、世界を良くしたい、という前向きなメッセージを全世界に向けて臆面もなく発信することもできるのですが、ある程度、清濁あわせ呑んでいるオトナとしては、そうそう絶対に善なることだけを口にできない。外に向けた厳しい叱責は、己を突き刺すナイフであるということをわかっているのだから。だからこそ、青春小説の主人公が純粋なゆえに傷ついたり、傷を受けることへのいたわしさはあるのかも知れません。

ラリーは、75個のモノしか持っていないという謎の人物です。どのような社会的属性を持っているかわからない。ただ、思索者として、そこにいる人物。彼は、インターネットのウェブサイトを通じて、自分の思想を表明し続けます。「ラリーによる福音書」。それは、商業的広告に毒された消費社会の批判であり、人間として正しく生きるべき道を説く説教なのです。一体、ラリーとは何者なのか。謎めいた人物であるラリーの考え方への共感は静かに広がっていきました。高校生たちは、ラリーのファンクラブを作り、その思想について理解を示そうとします。思春期的純粋さや潔癖さは、オトナの事情をあわせ呑むような器量は持ち合わせていないのです、断固として。ネット上のカリスマ、そして、トリックスターであるラリーという人物は果たして何者なのでしょうか。ラリーの言葉は、大きな賛同を得て、巨大なムーブを作っていくことになります。消費主義を捨てようというメッセージは、有名なロックバンドからも支持され、小さなウェブサイトはメガヒットを記録していきます。それは、沢山の人々を動員するイベントとなり、反消費主義の活動は、多くの企業をおびやかしていきます。ラリーは、やがてマスコミの寵児となっていき、その正体である、ちっぽけな人物は、自分自身の実生活をも失っていくことになります。膨らみすぎた風船がはじけるように、事態は悲劇的に収拾することになっていきます。

ラリーに夢中になっているガールフレンドにつきあって、高校生のジョシュは彼女の参加するラリーのファンクラブに入っています。ジョシュは彼女に好意をいだいていますが、彼女は、決して自分のことを恋愛の対象としては見てくれません。彼女には夢中になっている恋人が別にいるのです。知的なジョシュアにして見ると、彼女が好きになる男たちは筋肉バカにしか見えない。これは、なかなか辛い立場です。友人として全幅の信頼と尊敬を持って接してくれる彼女。でも、彼女の心は自分のものにはならない。彼女の関心は恋人とラリーの言葉だけ。でも、そんな彼女も不思議に思っています。どうして、ラリーには自分の心の中がわかってしまうのだろう。自分が悩み考えていることを、ズバリとあのネット上の説教で言い当て、アドバイスをくれるのだろう。それもそのはず、ラリーは、いつも自分の側にいるのです。そして、彼女は、決してその事実に気づかない。ネットを介した「シラノ・ド・ベルジュラック」は、世界を良くしようというメッセージを発しながら、実はただ一人の女性に振り向いて欲しかったのです。これは、なかなか切ない話ですね。自分の信じる正しさで、世界に向かい合おうとする精一杯な気持ち。一人の女の子に気づいて欲しいという精一杯な気持ち。自分自身をコントロールできない、そして、ままならないことも沢山、周囲にはある。物語の中の事件の広がりはスケールが大きく、そしてちょっと戯画的ですが、揺れる少年の心の痛みや、戸惑いを、活き活きと感じられる作品です。どうすれば良かったんだろうなあ・・・と、読み終えた後もずっと考えているのですが、正解のない難しい問題です。「思春期的葛藤が軽快な文体と沢山の脚注で描かれていく」タイプの青春小説を好まれる方には、是非、お薦めしたい本です。

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