出 版 社: 東京創元社 著 者: シヴォーン・ダウド 翻 訳 者: 越前敏弥 発 行 年: 2022年07月 |
< ロンドン・アイの謎 紹介と感想>
自閉スペクトラム症候群や発達障がいの傾向がある子どもが、ミステリアスな事件に遭遇し、その独自の頭脳や感性で真実を紐解いていく物語には多くの傑作があります。ディスレクシアなどの学習障がいの子どもが事件に遭遇するお話もまた色々と思い浮かぶところです。本書もまた、そうした傾向のある、ちょっと変わった個性を持つ少年が、その特性から苦労することがありながらも、自身の特別な頭脳で事件の謎を解いていく物語のバリエーションなのですが、なんといっても、作者が夭折した奇才、シヴォーン・ダウトであり、その生前に刊行された二作目の作品の翻訳刊行ということで期待値が高かった作品です。意外にも、ファンタスティックで奇想天外な作品ではない、というか、真っ当なリアル児童文学作品で、逆に驚かされるのですが、綿密に編まれた謎解きと成長の物語には味わいがあります。こうした物語に登場する「特別な子」たちは、やはり社会的に難しい部分もあって、学校でも支援を受けていて、あまり友だちもおらず、場合によっては虐待されていることもあるのですが(同じく謎解きものの『スマート』などがそうですね)、本書の主人公である十二歳の少年、テッドは家族から愛され、理解されています。人の表情から感情を感じ取れなかったり、特別なこだわりがあったりと、意識して社会性を身につけることで、なんとか学校生活を乗り切っているわけですが、ベースとして彼が家族の愛に支えられており、安心して読んでいられる物語です。ということで、特別な頭脳を持った少年探偵が活躍する児童文学ミステリーとして、事件の謎に楽しく挑んでいける物語です。2022年度のやまねこ賞一位の折り紙つきです。
ロンドンに住むテッドたち家族の元に、母親の妹であるグロリア叔母さんと従兄弟のサリムが泊まりがけで訪ねてきます。もうすぐニューヨークに引っ越す予定の二人とは、これでしばらくは会えません。せっかくだからロンドン観光を、ということで、名所である「ロンドン・アイ」に叔母とサリムを案内することになります。ロンドン・アイは135mもある巨大な観覧車で、晴れた日には40キロ先まで見渡せるし、一周するには30分もかかるということで知られています。案の定、チケットを買うにも、観覧車に乗るにも長い列に並ばなければならないほど盛況です。テッドは、姉のカットことカトリーナとともに、この列に並んでいましたが、不意に見知らぬ若い男性からチケットを譲り受けることになります。チケットを持っているが、高所恐怖症で乗るのを思い留まったという男性からもらったチケットは一枚。以前にロンドン・アイに乗ったことにある姉弟は、その一枚を従兄弟に譲り、彼がロンドン・アイに乗るのを見ていることにします。サリムが観覧車の三十二個あるカプセルの一つに乗り込りこみ、一周するのを離れた場所から見ていた二人。ところが、観覧車が一周したにもかかわらず、降りてくる乗客の中にサリムがいないのです。ずっとその姿を目で追っていたはずなのに、いつ見失ってしまったのか。そのまま行方不明になってしまったサリムの捜索には警察も乗り出してきますが、いっこうに見つかりません。携帯電話もつながらず、残されたのは、サリムが持っていたフィルム式のカメラのみ。ここからテッドはこの事件を解決するための「九つの仮説」を立て、カットと共に失踪したサリムの行方を探します。果たして、十三歳の少年、サリムは誘拐されたのか、自分から姿を消したのか。カットの行動力と、テッドの特別な頭脳によるひらめきが冴え、その謎が解き明かされていく痛快な物語です。
この物語の原書が刊行されたのは2007年。携帯電話は普及しているが、スマートフォンはまだ登場していないという時代であったかと思います。携帯電話にも、いわゆる写メと呼ばれるような写真撮機能がありましたが、当時のイギリスの機種のスタンダードまではわかりかねるところです。この事件のキーアイテムとなるのは、サリムが持っていたフィルム式カメラです。カメラに残されたフィルムを現像し(今となっては現像ってどこでやってくれたんだろうと思いましたが、ドラッグストアなんですね)、不鮮明な画像は、再度、引き伸ばしを依頼して拡大します。そこに写っていたものが、事件の謎を解くヒントとなります。とはいえ物語の上で、携帯電話がなければ成立しない部分もあり、00年代のシチュエーションが物語に作用している感もあります。サリムの離婚して離れて暮らしているお父さんはインド系です。ハーフのサリムが学校でいじめられる(まあ仕返しも相当なものですが)という人種差別的なニュアンスもありますが、レイシズムは更に許されないものとなった時勢ですし、発達障がいに対する理解もこの15年で随分と進歩したのではないかと思います。物語はその時代背景の中で息づいているもので、やもすると普遍性を失いがちで、本書のように原書刊行から時間が経っての翻訳刊行には難しいものもあります。一方で、特性のある少年が、その能力を活かして、大人顔負けの推理をする痛快さや、姉のカットとの関係性の妙など、時代を越えて読者を楽しませてくれる要素もまた多い作品です。作者は亡くなり、ロンドン・アイもまた朽ちる日も来るかも知れませんが、物語に繋ぎ止められた輝きは永久なのだと、そんな感慨を抱かされます。