丘の家、夢の家族

Awake and dreaming.

出 版 社: 徳間書店

著     者: キット・ピアソン

翻 訳 者: 本多英明

発 行 年: 2000年10月


丘の家、夢の家族  紹介と感想 >
体にぽっかりと穴が開いた気がする。その穴を埋めるためにテレビをつけっぱなしにしておく。部屋には自分以外、誰もいない。ひとりぼっちのまま放っておかれたのだ。普段は、それでも、本の世界に没頭して、想像の中に逃げこむことができる。だけれど、もうそれも限界のよう。九歳の女の子、シーオを取り巻く世界は灰色でくすんでいます。お母さんのリーは二十五歳。食堂で働いているけれど、賃金は少なく、一人で娘を育てている母親としては経済力も、分別も足りない。シーオをこの狭く汚い部屋にひとりきりにして、しばらく家に帰ってこないと思ったら、今後は、男と一緒に暮らすのだという。二人きりで。だから、姉であるシャロンに、シーオを預けるつもりなのだ。貧しく、汚い格好をしていて、学校では『シラミ頭』といじめられているシーオ。母親には、街頭で「物乞い」のようなことをさせられることもある。学校のカウンセラーや先生は同情して、いつも同じ格好をしているシーオに服を「施して」くれることもあるけれど、「施される」側としては、ちょっといたたまれない。可哀相な存在に押し込まれてしまうことで、余計、辛くなってしまう。これまでシーオを支えてきたのは物語の世界。本を読むことで、空想の世界に遊ぶことができる。『砂の妖精』や『シャーロットのおくりもの』、なにより『ナルニア国物語』『若草物語』『ツバメ号とアマゾン号』、そして『なかよし五人姉妹』、そう、物語のように沢山の兄弟姉妹が自分にもいて、優しい両親と暮らせる、そんな「家族」があったのなら・・・。伯母のシャロンと暮らすため、複雑な気持ちを抱きながら、母親に連れられ乗ったフェリーの中で、シーオは不思議な体験をします。自分を見つめるひとりの女性と目があったことからはじまる出来事。それは、現実なのか、夢や魔法なのか。リアルとファンタジーが交錯する、決して、甘くない物語。背筋が冷たくなるようなヒヤリとする展開と、物語の興奮、そして、温かい気持ちがここに息づいています。

物語のプロローグは、ある「幽霊」の独白です。「幽霊」が正面きって登場するなんて、これはファンタジーなのかと思いきや、続く第一章、シーオの物語の胸の痛くなるようなリアルな物語に驚かされます。冷たい社会の端っこでなんとかギリギリ壊れずに呼吸をつづけている、この孤独な少女は、一体、どうなってしまうのか。そして、第二章、第三章と、驚くべき展開が続くのです。特に第二章の「恐ろしさ」は圧巻です。シーオが、夢に描いていたような「理想の家族」の一員になれるという、地獄からふいに天国に連れてこられたような目の眩むほどの幸福感。そして、それがいつか壊れてしまうであろう不吉で確実な予感とのせめぎ合い。その緊張感には息を飲みました。いったい、このお話はどこへ向かっていくのか。やがて、夢の世界と、現実がシンクロするとき、シーオは「本当のこと」を知ってしまいます。夢物語に逃避することで救われるお話ではなく、夢物語からあえて戻ってくることで、再びリアルに立ち向かう物語。切ない祈りがあり、慈しみがある。孤独な魂の救済と、つきつめられた愛情がある。夢とリアルの挟間で、選択を迫られ、現実を強く生き抜くことが描かれていく、力に満ちた作品です。子ども心の許容量を越えた痛みに、ペチャンコにされていたシーオは、どのようにして自分を励まし、立ち上がっていくのか。過酷な現実と、不思議な体験に翻弄されながら、揺れ続けるシーオの繊細な心。その震えがなんとも愛おしく、応援したくなるのです。

「ここではないどこか」に希望をつながなければいられない時はあると思います。大人になっても、周囲の理解が得られないことや、職場環境が合わない等々の理由で、その場所から離れる選択をとらざるえないこともあります。しかしながら、子どもは自分の意志で、息がつまりそうな場所から逃げ出すことができない。その閉塞感を思うと、とても苦しくなります。子ども心に刻まれた「孤独」は、多分、その先の一生涯に影を落とすとものかも知れません。ファンタジーのような特異な事件はおきないまま人生は進んでいく。魔法のような奇跡は起きることはない。人は、孤独をどのように飼いならし、心に鎮めていくべきなのか。シーオという子どもの孤独と一緒に、大人たちの孤独もまた、この物語には描かれています。未解決な心の問題を持て余しながら生きてきた大人たちにとって「物語」はどのような薬効をもたらしてくれるのか。「ここではないどこか」ではなく「どこかではないここ」を素敵な場所にするためにできることはなんだろうと考えます。読書が心を豊かにしてくれるのなら、自分をとりまく世界の見え方も変わってくるのかな。子ども心に刻まれた孤独は、多少なりとも、自分の読書する感受性を養ってくれたような気もしますが、まあ、ゆっくりと生涯かけて気づくことや、わかることもあるのかな。答えを早急に求めず、その場にとどまることも一案ですね。あ、でも、酒乱とか、DVの人とか、イジメっ子のそばからはためらわずに逃げた方が良いと思います(汗)。