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出 版 社: 作品社 著 者: ヴィーラ・ヒラナンダニ 翻 訳 者: 山田文 発 行 年: 2024年07月 |
< 夜の日記 紹介と感想>
世界史の教科書に数行で書かれている歴史的事件の成り行きを試験のために暗記していても、じきに忘れてしまうものです。しかも縁遠い国の出来事となると、事実としてあったことは認識していても、当事者たちの気持ちを想像することもないものです。近現代史は現在と地続きで、時代に翻弄された当時の人々の気持ちも、現代的感性からある程度はリアルに想像できるものと思います。感情移入して知る世界史としては、物語の中の登場人物の気持ちをトレースすることも近道のひとつでしょう。本書は、1947年に200年に及ぶ英国の統治から解放されたインドが、激しい内部での宗教対立から、インドとパキスタンとに分裂した経緯を物語っています。故郷を追われたヒンドゥー教徒の十二歳の少女の視点から知る、この歴史的事件。インドとパキスタンの境界線付近での宗教対立は百万人の死者を出す暴動となります。住み慣れた場所を追われ、家族とともに国境を越えてパキスタンにたどり着こうとする少女は、命の危険と隣合わせの逃避行を経験することになります。場面緘黙であるのか、人前でほとんど言葉を発しない少女は、その気持ちを日記に託します。自分が生まれた時に亡くなった母親に話しかけるという形で。イスラム教徒であることが発覚したら、どんな目に合わされるかわからない。一触即発のヒンドゥー教徒との緊迫した対立状況です。対立が暴力を生み出す、この事態下のだからこそ、当時インドの一勢力であったガンジー(ガンディー)の非暴力主義の意義についても、あらためて考えさせられます。教科書では得られない追体験も物語の中にはあるのです。
1947年7月。十二歳の少女、ニーシャーは双子の弟であるアーミルと、医師として働く父親とミル・プールハースに暮らしていました。その場所は、この時点ではインドであったのですが、イギリスの統治から解放されて自由になったインドは宗教間対立が深刻になり、ヒンドゥー教とイスラム教の二つに分かれて、それぞれの国家を建設することになり、ニーシャーの住むこの地も、パキスタンという別の国に組み込まれることになってしまったのです。パキスタンはイスラム教徒の国であり、ヒンドゥー教徒であるニーシャーの家族はここを出ていかなければなりません。実際、近所でもイスラム教徒とヒンドゥー教徒の対立から家が燃やされるなど、恐ろしい事件が起きはじめていました。場面緘黙か極度の引っ込み思案か、人前で口がきけないニーシャーが、唯一、普通に話をすることができる家の料理人のカジとも別れて、父と祖母、弟と四人でニーシャーは困難な国境越えの旅にでなければならなくなります。イスラム教徒に襲われることを警戒しながら、そっと家を抜け出した家族は、街を避け、野原を越えて、砂漠へと進みます。荷物を抱えて一日に数十キロの歩き通し。喉の渇きと水分不足で体力を奪われ、特に体の弱いアーミルは健康を損なわれていきます。命をつなぐための水をさがし、それでもなんとか持ちこたえて、国境近くまで家族は進んでいきます。イスラム教徒とヒンドゥー教徒の対立は深刻になり、多くの人たちが互いに殺し合う状況をニーシャーは知り、深く傷つきます。国境を越える前に匿ってもらった家の近くに住む、イスラム教徒の女の子と親しくなったニーシャーは、そのことが家族の命取りとなると父親に諭され、この非常な現実を知ります。国境を越えるために命をかけて、人で満杯になった列車に乗り込む。そこでも暴動が起き人が争いあい、殺し合う坩堝だったのです。ニーシャーは、むかしのインドに別れを告げて、多くのものを失い、傷つきながら、新しいインドへと旅立ちます。
ニーシャーの父親もまたガンディーと同じように統一されたインドを望んでいた一人です。ニーシャーが生まれた時に亡くなった母親はイスラム教徒であり、ヒンドゥー教徒である父親と周囲の反対を押し切って結婚しました。両者の血を受け継ぐニーシャーは、この宗教間紛争の狭間で、より心を痛めることになります。同じ国がふたつにわかれることで、それぞれ、元とは別の国に行かなくてはならない自分と同じ子どもたちのことを、ニーシャーは想像します。自分を深く愛してくれていた料理人のカジ以外には心を開けないニーシャーは、いつも仕事が忙しく自分たちを気にかけてくれないと思っている父親とはろくに口をきくことができません。彼女の募る思いは、母親に話しかける形で日記に綴られていきます。色々な宗教の人たちが一緒に暮らしていた分裂前のインドの状況、そして、分裂時の混乱やそこで起きた悲劇が、一少女の目を通して、ありありと浮かんでくる物語です。この混迷を生み出した政治的状況について、どこに責任の所在を求めるべきかは歴史的審判が下されるものだろうと思います。大国による統治が続いたことがその後の国家としての独立の際に、多くの分断を生む結果となることは他にも事例がありますが、児童文学は翻弄される子どもの心に寄り添い、分断のない共生社会の理想を求めるものでしょう。ニーシャーの視線を通して描かれる物語は、その優しい心根でこの荒れた世界を見つめています。人間同士の不信や疑心から攻撃が行われ、怒りに火をつけます。その連鎖が拡大していく自分の安全も危うい中、冷静に、非暴力を掲げて、共生を訴えられるかは、今もって私たちにも問われているところです。そういえば、以前の職場で、ほとんど日本語が話せないインド人エンジニアの方と一緒に働く機会がありました。言葉の壁や多少の文化の違いはあったのですが、職場の仲間として、みんな仲良くなれるものだなと感慨深く思った記憶があります。飲み会なども楽しく、そんな時、結婚は国に帰って同じカーストの人とする、という彼を、日本人のデザイナーの女性が、カースト制度はダメだと非難していたことがあり、いや、そう言われても彼は困るよなあと思いつつ、とりあえず、同じ席で話をできることは良いよなと思っていました。違う宗教や因習、考え方など越えがたい壁はありますが、暴力に訴えず、共生を志向するために、教科書の先に進みたいと思います。
