3934km 国境を越えて

3934 kilómetros

出 版 社: Type Slowly

著     者: フアン・カルロス・ケサダス

翻 訳 者: 星野由美

発 行 年: 2026年03月

< 3934km 国境を越えて  紹介と感想>

自動車を駐車すると「ここは盗難多発地域です」とカーナビに警告され、はっとして警戒感を募らせることがあります。とはいえ、わりと平穏な都内の町中では、ドアのロックを忘れないようにしようという心持ちになる程度で、そう危険を感じることもありません。ドアの窓を破られるほど、東京は危険地帯ではないだろうとたかを括っているのです。そういえば、以前に、仕事で行った都内某所の倉庫付近で、得体の知れない不穏さを感じたことがあって、実際、その倉庫の人に聞くと、近隣にやや柄の悪い人たちが横行していて窃盗や放火トラブルが多いというのです。そんなふうに、ちょっとかすった程度でも、怖気づくぐらいの危険地域への耐性のなさなので、中南米の小説の出てくるような町の治安の悪さには、正直、面食らうものがあります。本書も、中米エル・サルバドルの漁村から物語が始まりますが、村がギャング団に席巻され、搾取や暴力、ひいては一般市民が虐殺されるなど、治安が悪いどころではない危険地帯の様相が描かれます。主人公の少女は、こうした非道な世界で翻弄される実に無力な存在です。度重なる不幸の連続から、彼女は逃走せざるを得なくなるのですが、どこかにある明確なエル・ドラドを目指しているわけではなく、ただ現在の危機から逃れ続ける旅を続けます。希望のない旅。ただ旅の仲間がいることと、その友愛が彼女の救いとなります。命を落とすか、あるいは裏世界で終わることになる未来しか見えない人生。この絶望からの脱出劇が鮮烈に描かれていきます。カスティージョ・イスパノアメリカ文学賞(YA部門)受賞作。

もうすぐ十歳になる少女、マリア・イレーネ・マダリアガ・マダリアガ。中米の小さな国、エル・サルバドルにある海外沿いの町、ラス・ボカニタスに暮らす彼女には両親はおらず、祖母に育てられていました。それでも、なんの不自由もなく幸せな生活を続けていたイレーネの世界が壊れ始めたのは、学校で先生が襲撃されたことと、祖母がギャング集団マラ・サルバトルチャに虐殺されたことからです。修道院でもあるサン・パトリシオ孤児院にひきとらたイレーネは、二十数人の少女たちとここで一緒に暮らすことになりますが、素行の悪いトム神父に不穏なものを感じていました。案の定、トム神父に襲われたイレーネを若い修道女であるダヤンが助けてくれたものの、イレーネの所持していたナイフでトム神父の首を切り失血死させてしまいます。ここから二人の逃避行が始まります。新聞報道され、警察に追われる二人。ただ、歩いて北へ向かう。この逃避行はやがて、イレーネは生き別れの母親を探し、ダヤンもまた生き別れの娘を探す旅へと、目的を持つことになります。ただ歩き、木の上で寝泊まりしながらグアテマラの国境を目指す二人は、疲れ果て、車を入手しようとします。二人がおんぼろの車の購入をしようと近づいた持ち主の女性、バーで踊るダンサーだというソチトルは、二人の素性を新聞で見て知っていました。それなのに、通報せず、彼女たちに協力を申しでます。決死の覚悟での国境を越えた密入国。そして、さらなる逃避行を三人で続けることになります。やがてソチトルの善意に満ちた働きによって、二人はその先へと進めることができます。警察の検問を避けるために、貨物列車である野獣列車(ラ・ベスティア)に、多くの移民たちとともにスペースを取り合いながら乗ることもまた危険な行為でした。電車で振り落とされ、線路に落ちそうになりながら、どこに行くかわからない貨物列車で先を目指す。移民警察、兵士、人身売買組織、いずれも彼女たちを虐げる存在である捕食者たちであり、救いはありません。ただ捕まらないことだけが彼女たちの生き残る道でした。途中、アフリカに向かうダヤンと別れ、メキシコシティに到着したイレーネは、ここからさらに、一人でアメリカのデンバーを目指します。メキシコからアメリカへ密入国請負人の手を借りて、砂漠の国境を越えようとするイレーネにはさらにどんな困難が待っているのか。襲いかかる渇きと闘いながら、生きのびるためのイレーネの逃走は続きます。エル・サルバドルのラス・ボカニタスの海辺から、アリゾナ州ツーソンのワシントン・ストリートとエル・ロブレが交わる地点まで、その距離は3934㎞に及びます。

物語の冒頭に、イレーネが通う学校の若い女性教師が、生徒に顔を刺されるというエピソードが登場します。教師のエレンディラという名前は、映画化もされたガルシアマルケスの短編小説を想起させられます(『百年の孤独』の中にもあの老婆のくだりがあった気がするのですが)。ラテンアメリカ小説ブームの頃の印象として、あの世界は、どこか現実離れした幻想世界のように感じていたのですが、ラテンアメリカは現実に存在する地平であって、この世界の同時代想像力を働かせていくと、複雑な気持ちになっていきます。過酷な生活を逃れ、より良い生き方を求めてさまよう移民たちは死ととなり合わせの決死行を行うことになります。難民との共生のモチベーションとして、想像力を働かせることは大切ですが、こちらの想像を越える事態ばかりが起きて追いつきません。おおよそ理不尽です。同級生が先生の顔をナイフで刺したことも、特に理由は説明されません。これも理不尽な世界を象徴するような子ども時代のエピソードです。ちなみに僕にも、小学生の時に、若い女性の先生の顔を刺した同級生がいたのですが、そうした記憶には靄がかかっています。自ずと文学的に記憶を改竄してしまうのですが、本来は事実を見つめて、状況を解明して理解していかないとならないような気がしています。理不尽の嵐に耽溺してしまいがちな文学趣味は自分の悪癖です。イレーネの旅もどこか幻想的に捉えてしまいがちなのですが、ほぼ十歳の子どもが遭遇する過酷さを現実として捉える必要を覚えます。ソチトルがただ好意で、逃げるイレーネとダヤンに協力を申し出たことが二人に活路を与えてくれます。それは「私たちは年齢も国も違うけれど、どこか姉妹みたいなものだと思うから」という理由だけです。犯罪者に協力することで身の危険が及ぶことも省みずにです。この三人で車で逃げながら、たわいのない話をしながら旅をするロードムービーのような、どこかのどかな展開が魅力的です。語られるソチトルの過去の話や、孤独な彼女の心境、そして、ここで芽生えた束の間の友情は、この物語を唯一、彩ります。イレーネとダヤンを救おうとするソチトルの覚悟。二人が新しい人生を送れるように、彼女が行った行為には、多分に人を欺くことも含まれていますが、人道とは何かという正解に近いものです。この年の離れた三人の女性たちの友情は、過酷な荒野に灯される希望となります。いかに多くの人たちがこうした逃避行で蹂躙され、命を落としたかは本書の著者の解説に詳しいのですが、奇跡的に救われたイレーネの軌跡を知ることは、残酷な世の中の現実の中で、自分たちが隣人に寄せるべき気持ちを養ってくれるものとなります。