アイアンマン

トライアスロンにかけた17歳の青春
Ironman.

出 版 社: ポプラ社 

著     者: クリス・クラッチャー

翻 訳 者: 西田登 金原瑞人

発 行 年: 2006年03月


アイアンマン  紹介と感想 >
クソったれな教師を「クソったれ」と呼んだために、三度目の停学をくらったボーリガードは、課題として、ナカタニ先生の主宰するアンガー・マネージメント・グループに参加することになった。このアンガー・マネージメント・グループ、キレやすい生徒たちが、自分自身の怒りはどこから来るのかを、ナカタニ先生の指導のもとに内省する場所。札つきのワルや、自分をコントロールできない滅茶苦茶な連中が集まるグループに参加させられるほど、ボーリガードはハイレベルな「キレっぱなしの少年」ではない。でも、アイアンマンレースともいわれるトライアスロンに挑むため、身体を鍛え続けているボーリガードでさえ、心身ともに健全というわけではない。少し、心に隙間がある。その隙間に忍び込んでくるのが、尊大な魂を持った大人たちの、おしつけがましく、行き過ぎた教育的指導だ。ボーリガードは、何故、自分が怒りを感じてしまうのか疑問に思う。誰かに怒りを爆発させることは、社会的な立場も含め、自分自身を粉々にしてしまうだけなのに。テキサス出身の日系人ナカタニ先生は、背は低いが、デニムのシャツとリーヴァイスのジーンズ、金具のついたブーツを履いた、ファンションも言葉遣いもカウボーイな男。なにより、そのスピリットがピカイチだ。ナカタニ先生の言葉は、怒れる、そして、迷える少年少女たちに真理の光明を見せてくれる。やがて、やっかいものの集まりだったグループは最高の瞬間を迎えることになる。心をこなごなにされた子どもたちが、自尊心を取り戻すにはどうしたらいいのか。自分をからっぽにされてしまうような目にあった時、どうやって心を満たしたら良いのだろう。ハードな人生を生き抜く子どもたちと、かつてそんな子どもだった大人たちが織り成す葛藤の物語。具体的に何がどれほど変わったか、と言われれば、ほんのわずかな進展しかなく、そして失ったものも多いけれど、ボーリガードが自分自身の心を見つめ、人の心を慮りながら、多くの気づきを得ていく、カタルシスに満ちた物語です。トライアスロンが題材にはなっているけれど、スポーツ小説というよりは、心の葛藤と成長を描いたYA小説の完成形と呼んでもいい作品です。

心象を語りすぎるきらいはあるものの、ストレートにテーマを貫いていく言葉たちは力強く、胸にガンガンと響いていきます。ここ10年のYA作品では、ベストに入る出来だなと思っていたクリス・クラッチャーの前作『ホエール・トーク』についで、この作品もまた、甲乙つけがたい良作となっています。登場人物たちが、粋でカッコいい。なんというか、いい意味で「あの連中」と呼びたくなるようなナイスガイども。そして、くそったれなヒールたちは、実に小憎たらしい。ヒールはヒールなりに、信じるものがあり、信念に基づいて行動しているのだけれど、結果的に、まっすぐな魂とは、反目し合うこととなる。とはいえ歳月を経て、それぞれの立場が変わって、見える景色が違えば、また新章がはじまるかも知れない。そんな予感も残している作品です。登場人物たちの過去や現在が、とても重く、気楽に読んでいられないような緊張感を持っています。父親や教師、他人からの圧力だけではなく、自分自身の欺瞞にも立ち向かわなければならないボーリガードの心の闘いは、三人称と独白体を交えた構成の中で、切実に感じられます。ラストのトライアスロンのレースを、ボーリガードと、そして、アンガー・マネージメント・グループの連中と一緒に駆け抜ける時の気持ちの高鳴りは、なかなか得がたい読書体験かと思います。抜群に面白いけれど、読み通すことが辛い本です。しかし、きたるべきゴールの瞬間のために、最後の1ページまで、ボーリガードと一緒に走り続けて欲しいと思うのです。

本人には、まったく悪気がなく、むしろ自分なりの正義があって、良かれと思って発する言葉で、人の神経をまともに逆撫でしてしまう人がいます。こうしたサカナデ力で、お湯を沸かしたり、電力を供給したりすることができれば良いのですが、せいぜい人間関係の摩擦を生むぐらいなので、なかなか難しいところです。親や教師、または、会社の上司などにこうした人がいると、かなりストレスフルな毎日が繰り広げられることが想像されます。思わず、キレてしまいそうになる。いい大人になって、平静を装う日々にも、そんな隘路が待ち受けています。まともな人間を育てるためには、厳しくしつける必要がある。身近にいるパワーを持った人間が、こんな考え方を持っていて、しかも子どもの心を全く尊重しない、という方針だとしたらどうなるのか。高慢の鼻っ柱がへし折られるぐらいならたまにはいい。でも、強い立場にいる人間が、人の心に修復不能な穴を開けてはならないのです。ペチャンコになった心を、自分で膨らませようとして空気を入れても、穴からもれていってしまう。この物語の中には、心に穴があきっぱなしの人間が、沢山、登場します。誰かにやられた人間もいれば、自分の愚かな過ちで、自ら穴を開けてしまった人間もいます。どうすれば穴は修復されるのか。どうすれば自分に誇りをもって、立っていられるようになるのか。誰かにバカにされても心を揺るがさずに、自分がなくなってしまうような最低な気分から抜け出せるのか。心に空けてしまった大きな穴を抱えながら生きているナカタニ先生の言葉は、とても重く、胸に迫ります。人の心に寄りそうことで、救われる気持ちもあるのかな。感慨深い、一冊です。是非、手にとっていただけば幸いです。・・・余談ですが、ウエスタンスタイルの日系人といえば、萩原流行さんが有名でしたね。

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