木の中の魚

Fish in A Tree.

出 版 社: 講談社

著     者: リンダ・マラリー・ハント

翻 訳 者: 中井はるの

発 行 年: 2017年11月


木の中の魚  紹介と感想 >
想定される最悪のシナリオでは、アリーは自分に難読症という障がいがあることさえ知ることはなかったのだろうと思います。文字をちゃんと読めないのは頭が悪いからだと劣等感を抱き、気持ちを制御できない自分にいらだちながら問題児として学校生活を送る。自分に閉じこもり、友だちも作らず、失意を抱いたまま大人になる。そんな未来もあっただろうと思うのです。ダニエルズ先生がアリーの担任にならず、アリーの難読症を見抜かなければ。そして、自分自身をあきらめはじめていたアリーを根気よく説得しなかったら。おそらくアリーはより良く生きられる人生を失っていたかも知れません。文字を読んだり、書いたりすることが苦手なアリー。彼女には文字が反転して見え、音と綴りが違うことも理解できません。自分にはどんなふうに文字が見えるのか誰にも打ち明けることができないまま、作文用紙の前で途方に暮れていたアリー。滅茶苦茶を書き、先生には叱られ、校長室に呼び出される日々。アリーのクラスに新しく赴任してきたダニエルズ先生は、そんなアリーの言動や発想から彼女が飛び抜けた知性を持っていることに気づきます。生徒たちが規則を守り、ちゃんとしていることよりも、ひとり一人が個性を発揮することを望むのがダニエルズ先生という人でした。まずは、放課後にアリーにチェスを覚えてもらうことからダニエル先生ははじめようとしますが、アリーはすでに頑なになっています。それでも、先生は諦めません。生徒のことを最大限に考え、全力を尽くす先生がいてくれること。そんな当たり前なようで得がたい恩恵が、全ての子どもたちにあるようにと願いながら、最悪のシナリオを最良に替えていく、ダニエルズ先生のアクションに注目しましょう。

『もし木登りの能力で魚を評価したら、魚は一生自分がバカだと思い続けることになる。』というダニエルズ先生が教えてくれた言葉にアリーは動かされます。そして先生は、アリーは読むのが苦手なのではなく学び方が他の人と違っているのだ、ということを学校の中でも浸透させていきます。先生はアリーに『ときとして、最も勇気ある行いは、人に助けを求めることだ。』という言葉も教えてくれます。アリーは人との距離を測りかねていました。だまっていた方がマシ。それは今までの経験から学んできてしまったことです。小学六年生のなかなか難しい人間関係の中で、傷つけられることも多かったアリー。それでも、その真摯な行動から信頼関係を築き、大切な仲間を見つけていきます。そんな仲間にも、自分の状態を説明することや助けを求めることが難しいアリーでしたが、物語の終わりに、ダニエルズ先生に自ら進んで助けて欲しいとお願いします。それは自分のことではなく、アリーを今まで支えてきてくれた人のためのものでした。暗いトンネルに閉じ込められていたアリーに、次第に差していく光明に、あたたかい気持ちを感じられる物語です。

難読症(ディスレクシア)は近年の児童文学作品で取り扱われることが多い題材です。この本と同じ2017年には『ぼくとベルさん』という、難読症の少年を主人公にした作品が翻訳刊行されています。物語の舞台は1900年代初頭で、まだ難読症というものが存在することが一般に認知されていない時代です。周囲から頭が悪いと思われている少年は、日頃から自分を卑下しがちでしたが、実際は賢く、機転が利く子なのです。やがて高等数学の本の挿絵から滑車の原理を学んだ少年は、それこそ「大きな力」を生み出し、大人たちも驚く働きをします。彼の資質を見ぬき、励ましてくれたのは、大発明家のグラハム・ベルでした。ベルの友人としてヘレン・ケラーもこの物語には登場し、少年とも親しく「会話」します。ヘレン・ケラーがどの程度、「会話」をすることができたのか気になって、読後にウィキペディアを見ていたところ、ヘレンの自伝である『奇跡の人』の原題が『The Miracle Worker』であると知りました。これは「働きかけて奇跡をおこす人」を示しているとのこと。ヘレン・ケラーを指導したサリヴァン先生こそが「奇跡の人」だったのですね。人が、どんな先生に出会えるか、ということは運が左右しています。それもまた奇跡のような巡りあわせです。実際、自信を失っている子どもたちの多くは、そうした先生に出会うこともないまま、大人になっていくのでしょう。この「運の悪さ」を克服する方法について考えています。人との出会いに比べれば、本との出会いの方がヒット率が高い、というのは詭弁かも知れませんが、誰もが受けられる恩恵ではあるかなと。こうした本のスピリットを知ることで励まされることは多いのではないかと思うのです。それは奇跡ではなく、ごく、当たり前に起こることなのだと期待しているのですが、どうでしょうか。