出 版 社: あすなろ書房 著 者: カイ・マイヤー 翻 訳 者: 遠山明子 発 行 年: 2008年11月 |
< 氷の心臓 紹介と感想 >
時は十九世紀末。場所は帝政ロシア政権下、石の都サンクトぺテルブルグ。そこにある、ホテル・オーロラは、建て増しを重ねて巨大化した高級ホテルです。このホテルを舞台に、逗留客である二人の魔女が熾烈な闘いを繰り広げます。かたや非情な雪の女王、かたや女王に父親を殺され復讐を誓う暗殺者タムシン。雪の女王は、己の氷の心臓のひとかけらをタムシンに奪われたために、本来の力を失い、衰弱しています。女王を倒すには今しかない。女王が制御する力を失ったため、原初の冷気が吹き荒れる極寒の世界で、二人の対決は最終局面を迎えます。何故か、十九世紀末のロシアのホテル・オーロラで。
物語の主人公は、この二人の魔女の闘いに巻き込まれることになる十二歳の女の子、マウス。彼女はツギハギだらけの男の子のボーイの制服を着て、ホテル・オーロラで、お客さんの靴みがきをして暮らしています。住み込み、どころか、ホテルから外に一歩も出たことがない。マウスが生まれたのは、ホテルのワイン貯蔵庫。お母さんはマウスを産み落とすやいなや、秘密警察に連行され、処刑されてしまいました。お母さんは無政府主義者のテロリストだったのです。もとより父親のことは知らず、母親もいない孤児として、からかわれ、メイドボーイと馬鹿にされながら育ったマウス。エレベーターボーイたちには酷い目に逢わされるし、いつもマウスを付け狙うハングマンという粗暴な警備員もいます。マウスに優しくしてくれるのは、ホテル付きのダンス教師のククシュカだけ。そんなマウスのひそかな楽しみは、ごくささやかな「盗み」。小さな戦利品を集めて、自分の隠れ家に飾っています。マウスの隠れ家。それは、ワイン貯蔵庫の奥の、誰にも気づかれていない秘密のスペース。以前に誰かが、使っていた場所のようなのだけれど・・・。両親にまつわる秘密と、皇帝の命を狙うテロも頻発する外界の緊迫する政治情勢。広いとはいえ、ホテルの中だけで怯えながら暮らすマウスに、二人の魔女との出会いが転機をもたらします。成長物語の要素を孕んだ実に「変わった設定」のファンタジーです。
とても魅力的な要素に溢れた物語です。ハイファンタジーではなく、リアルな歴史上の時間と場所で、この世のものならぬ二人の魔女の闘いを見届けるのが、これまた等身大の臆病な少女であるというのもツボ。物語の壮大さに紙片が足りず、やや粗っぽい展開もありますが、魅せてくれるイメージは豊かです。マウスが勇気をふりしぼり、非常に心理的な戦いとなる七つの門の魔法を打ち破る場面や、圧政者を倒すためとはいえ、テロルに訴えようとした母親の残像と対峙するあたりや、生まれ育ったホテルから踏み出せないという心の壁など、YAの要素は見逃せないところです。また不思議と、善悪がはっきりとしない部分があります。それは「圧政者」と「革命家」の現実の構図の写し絵でもある。暴力も辞さない、急進的な革命は果たして、善なのか。マウスも二人の魔女の間で揺れ動きます。魔女二人が妙に人間臭く、超然としていないのも、そうした構図によるところかも知れません。ということで、もう少しページがあればなあと思うのは、もっと深く濃くなる作品のはずが・・・と惜しく思う気持ちです。個人的に隠れ家モノが好きで、大きな建物の中に、誰も知らない秘密の場所があるなんて設定には喜んでしまいます。ワイン貯蔵庫の奥の隠し部屋。そこは自分だけの王国。そういえば、地下鉄坑内に自分の隠れ家を持つ少年の物語『地下鉄少年スレイク』という魅力的な作品もありました。ポイントとしては、物語の終わりに、自分の王国から抜け出して、外の世界に一歩踏み出すこと。内にこもる心性を愛しつつ、ひきこもり礼賛に終わらないあたりが、YA的健全さ、というものなのかも知れません。