リンゴの丘のベッツィー

Understood Betsy.

出 版 社: 徳間書店

著     者: ドロシー・キャンフィールドフィッシャー

翻 訳 者: 多賀京子

発 行 年: 2008年11月


リンゴの丘のベッツィー  紹介と感想 >
読みながら心地良い幸福感がずっと続いていく物語です。小さな不幸はあったり、ヒヤリとさせられるピンチはあるものの、それはささやかなスパイス。刺激が足りない、と思いきや、この物語は、余りある心の驚きに満ちていて、退屈することがありません。一人の女の子が色々とビックリします。そのビックリがとても良いのです。例えるなら、プレゼントの包みを開ける瞬間、その子がサプライズな喜びに顔を輝かせるのを見守っている、そんな感じでしょうか。誰かが心を躍らせる瞬間を見ること、それは、自分がプレゼントを貰うよりも嬉しいことかも知れない。そんな感じが沢山つまった作品です。1917年に発行された作品の新訳版。1950年代に『ベッツィ物語』として邦訳刊行された作品が現代に甦りました。古き良き、それでいて新鮮な、心の波動がいっぱいつまったタイムカプセルが開けられたかのようです。児童文学にニアリーな「家庭小説」と言えば、エレナ・ポーター、オルコット、ネズビット、ワイルダー、モンゴメリー・・・懐かしい名前が沢山、浮かぶかと思います。身寄りもなく、ただ一人見知らぬ村に降り立った女の子たち。本書は、かつてアンやパレアナ(ポリアンナ)と一緒に新しい生活を体験した喜びを、もう一度、味わいたい方には、うってつけの一冊になると思います。

小さな女の子ベッツィー。両親を幼くして亡くしたもの、父方のおばさんと大おばさんたちの「乳母日傘」の至れり尽くせりの愛情に包まれて健やかに育ち、もうすぐ十歳になろうとしています。ところがある時、大叔母さんに転地療養が必要な病気が見つかります。さすがにベッツィーを連れていくことはできず、困ったおばさんたちはベッツィーを人手に預けることになるのですが、巡りめぐってベッツィーは、母方の親戚である北部の農村、バーモンド州のパットニー牧場に赴くことになるのです。おばさんたちはこの農村の人たちを、子どもを子ども扱いしないで働かせるような粗野な人たちと思っていました。ベッツィーもそんなことを聞かされていたものですから、すこし警戒しながらこの田舎の村へと赴きます。さて、一人、不安な気持ちを抱えながら駅に降り立った女の子の前に迎えの馬車がきます。ここから始まる農村生活。それは意外にも、ベッツィーにとって、輝ける驚きの日々の始まりなのでした。

愛情深く、大切にされて育ったベッツィー。気弱で思ったことを口にできない。これまでは自分でなにも考えなくても、すべておばさんたちがやってくれた毎日。要は過保護なのです。何もかもが違う農村の生活に最初は戸惑うベッツィーでしたが、やがてそれがギフトのような毎日と変わっていきます。何よりも、人々の自分に対する態度が違う。繊細なベッツィーは、そうしことを敏感に感じ取っていきます。ベッツィーは、以前のように、コワレモノのようには扱われません。カルチャーショックと、覆される常識。でも、甘やかされるよりも、対等に見てもらうことが、ただ褒められるよりも、わかってもらうことが、ベッツィーにとっては大切なことに代わっていきます。その気づきの瞬間のあざやかさ。心の中に花が咲いたような気持ちで満たされる一瞬のときめき。きめ細かく描かれるそうした心のおののきが、凄く良いのです。赤ちゃんのように扱われて安心しているのではなく、上級生になったような誇らしさを感じること。背筋を伸ばして、シャンとした清新な気分。時々、泣きそうになったりすることもあるけれど、誰かの悪意や意地悪に心を痛めるのではない、成長のためのステップの涙なのです。ちょっとたしなめられることもありますが、理不尽に怒られたりすることはありません。こうした物語に恒例の「気むずかし屋」の偏屈な人が出てこないのは物足りなくもあるのですが、穏やかな慈悲に溢れた善意の物語にしばらく浸っていられるのは、心地よい体験です。楽しく優しい読書時間を約束してくれる作品です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。