5番レーン

Lane 5.

出 版 社: 鈴木出版

著     者: ウン・ソホル

翻 訳 者: すんみ

発 行 年: 2022年06月

5番レーン 紹介と感想>

「私の頑張る姿で、見ている人に感動を与えたい」とアスリートの方が言われていました。これは、なかなか言える台詞ではないと思います。迷惑行為で、なにかと批判されがちな、所謂、撮り鉄の人が、「自分たちがいなかったら鉄道写真を見たい時に困るでしょ」と言われていて(さすがにこれはネタか)、考えさせられたことがありますが、前述の台詞も、ちょっと面食らいつつ受け止めています。人が頑張っている姿に感動を覚えることは確かにありますが、本人から言われるとやや驚きはあるものです。それも含めて、アスリートにはメンタルの強さが必要なのだと思います。それぐらいの強気でなければ勝てないのでしょう。勝負に勝つことは、自分に打ち勝つ努力の先にあるものです。その誇りに奢りを見てしまうのは、運動が不得意だった自分のやっかみです。人の卑屈な態度も見たいものではなく、程よく謙虚であることが良い塩梅のような気がしますが、強気でなければいけない世界もあります。本書の舞台は韓国の都市部。小学六年生の水泳競技に打ち込む子どもたちを描いた物語です。学校の水泳クラブとはいえ、それなりの素養がある子でなければ入れないエリートクラブです。強いハートを持っていなければ、競技では勝ち抜けません。強気の子どもたちの熱いビートがベースにある物語ですが、時折、折れそうになることや、勝ち負けにこだわることに疑念が湧くこともあります。迷いもあり、魔もさします。それでもスポーツ礼讃のスピリットと、正々堂々の倫理観は、実に健全で淀みがありません。そして強気の勝気です。なによりも自分自身に負けないことが大切なのです。ここに素直に納得できず、どうにも物語のフレームの外側にあるものが気になってしまいます。この作品をどう読むべきか、やや戸惑いながらですが、まとめていきたいと思います。

漢江(ハンガン)小学校の水泳部に所属する六年生の女子、カン・ナル。水泳歴8年で、部のエースとして活躍するナルですが、今回の全国ジュニア体育大会でも他校のキム・チョヒに敗れ、悔しい思いをします。ナルはビデオで試合映像を振り返り、チョヒの水着が光っていたことから、不正があったのではないかと疑います。コーチにもチョヒの不正を訴えますが、少し気持ちを整理した方が良いと諫められるだけです。怒りを撒き散らし、友だちとも仲違いしてしまったナル。本当は水着の問題ではないということに気づいているけれど、強い屈辱感から負けを認められないのです。コーチには水泳は勝ち負けだけではない、どうして自分が水泳をやっているのか考えた方がいいとも言われるものの、ナルには、ただ良いタイムを出すことしか頭にありません。ナルは二歳上で体育専門学校に通う姉のボドゥルが、競泳を辞めて、飛び込みに転向したことも納得がいきません。競泳から逃げてはならない。そんなふうに自分で自分を追い詰めていくナルの気持ちを少し変えてくれたのが、転校生の少年テヤンです。当初は、キャリアもないのに水泳部に入りたいというテヤンに反感を抱いたナルでしたが、その水泳の実力と、大きな気持ちを持った彼が気になっていきます。ただ楽しいから水泳をやっているというテヤンの言葉に、結局、自分は何故、水泳をやっているのかと戸惑うナル。さて次第にテヤンと親しくなり、ナルの気持ちが上向きになっていくものの、練習で出かけたプールで、ライバルであるキム・チョヒと顔を合わせることになってしまい、また心を乱されます。親しげに接してくるチョヒに、ナルのわだかまりは解けません。そして、更衣室でチョヒのバックを見つけたナルは、勝つためのお守りだと彼女が言う水着を思わず盗んでしまうのです。自分でやってしまったことながら、その罪悪感に押しつぶされていくナル。テヤンに好意を打ち明けられて幸せな気持ちになりながらも、そのことがナルの気持ちを苛み、もう泳げないとさえ思います。水泳を続けたい。その強い思いは、ナルに、チョヒに正直に自分のやったことを打ち明け、謝ることを決断させます。その謝罪は受け入れられるのか。水泳に打ち込む子どもたちの心の交感が強く脈打つ物語です。

韓国のYA作品の翻訳刊行が増えて、読むことができるようになり、その競争社会の閉塞感を受けとめています。強気じゃない生き抜けない場所という印象です。物語の背景にある韓国のエリート教育主義には、気圧されるところがあり、そうした中で気を張っている子どもたちの姿には、いたわしさを感じます。勉強やスポーツで秀でなければならないというプレッシャー。現代の日本はオフビートなのに、それでもリズムに乗れない子どもたちの日常が描かれていきますが、韓国の児童文学の世界観は、まず厳しい社会規範ありきという印象です。本書の主人公のナルは、母親や姉やコーチからもっと自由な選択を示唆されています。しかし、本人が最後まで、勝つための水泳を続けることにこだわる頑固な物語です。正々堂々の美徳もここにあり、ナルは自分の過ちを反省し、さらに自分の弱さに打ち勝っていくのです。この強気に圧倒されました。違う価値観が提示されながら(てっきり勝ち負けにこだわらない新しい気づきを得るのかと思いきや)、初志貫徹する潔さなのです。この物語の当たりの強さを中和しているのが、ナルとテヤンの恋愛エピソードと、美しいカラーイラストです。そこに描かれている子どもたちが随分と幼い雰囲気なので、やや印象が柔らかくなります。総合的に、より良く生きるとはどういうことなのだろうか、と考えさせられた作品です。とても正しい物語であるだけに、裏打ちのバックビートに響くものを感じとってしまいましたね。