われらがアウルズ

Edenville Owls.

出 版 社: 早川書房 

著     者: ロバート・B・パーカー

翻 訳 者: 光野多恵子

発 行 年: 2008年11月


われらがアウルズ  紹介と感想 >
十四歳。八年生。日本の学制で言えば、中学二年生。所謂、臆病な自尊心と尊大な羞恥心。過剰な自意識を持て余す中二病棟の住人というのが、万国共通なのかどうかはわからないものの、痛々しい季節なのかも知れません。特にダメのなのは、僕のような文化部系で、勝ち負けのない世界にいるもんだから、一層、負けを認められないまま、自分自身をこじらせたタイプです。じゃあスポーツマンならどうなのか、爽やかで潔いものなのか。友情、努力、勝利の喜びも、ちょっとした冒険も、ほのかな恋愛すらも無関係だったイケてない十四歳からすると羨ましいかぎりの青春という感じなのですが、相応に懊悩するところはあるわけで、ささやかな共感を抱くところもあります。回想の中の少年時代は、郷愁というよりも、みっともない恥ずかしさで一杯なのですが、ちょっと痛い、あのヤングでアダルトな時間帯に気持ちをシンクロさせて見るのもまんざらではない、そんな気もします。これもまた読書の愉しみですね。スペンサー・シリーズのロバート・B・パーカーが描くヤングアダルト向け作品『われらがアウルズ』の登場です。

戦争が終わったばかりの1945年の秋。世界は新しい時代を迎えて、ボビー・マーフィー十四歳は、八年生になったばかり。ボビーが級友たちと作った「アウルズ」は、コーチもいないワルガキばかりのフットボールチーム。地区のトーナメントに参加できることになったものの、基礎もろくにできていない彼らに勝算はあるのか。機転の効くボビーは奇策やアイデアを凝らし、仲間たちを奮いたたせながら、スポーツ路線を縦軸にして物語は進みます。一方、若くて美人のディレーニー先生が抱えているトラブルに気づいてしまったボビーは、幼なじみのジョウニーとともに、その謎を解いていきます。なかなか一筋縄ではいかない、十四歳には荷が重い危険を孕んだ冒険が物語の横軸に走ります。そして、魅力的なジョウニー。理知的で、同い年の男の子なんて見透かしたようなところのある手ごわい女の子。親友でもある幼なじみの女の子との微妙な距離感や、ちょっとおバカな妄想やら期待をいだいてみたり、はぐらかされたり。この季節ならではの、ニヤリとするような気持ちの揺れがニクイところです(いわゆる「気の強い女子と一緒に真夜中の動物園から動物を逃がす感じ」です。なんだそれは)。十四歳なりにタフでなくては生きていけず、優しくなくては生きる資格がなかったりする、まあ、そんなハードでボイルドな男のプチ・ロマンもまた楽しめるところです。男って、やっぱりしょうがないなあ、と微笑ましく思いつつ、なんだけれど。こういうところは男子的にはシンクロできますね。

良くわからないなりに楽しめるのが、この作品に登場する、たくさんの固有名詞です。映画俳優の名前なら多少は馴染みがあるものの、流れているラジオの番組名は知らないものばかりでした。思い出したのは、リチャード・ペックの『シカゴより好きな町』。時代はたしか同じ頃、あの田舎の村の屋根裏部屋で夜に一人、ラジオのチューニングを合わせていた女の子が記憶に刻まれています。あれもまた回想の中のラジオ番組がたくさん登場しました。ルーズベルト大統領がラジオで国民に語りかけた「炉辺談話」については、色々なところで聞いたような気がします。そういえば『友情をこめて、ハンナより』という、ルーズベルト大統領に、文通相手を紹介して欲しいと手紙を書く女の子の物語もありましたが、あれはすごく楽しい作品だったなあ。三、四十年代の古き良きアメリカに思いをはせる作家の郷愁にはシンクロできないけれど、でもなんかイイ感じ、なんですね。不思議です。

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