白き花の姫王

ヴァジュラの剣

出 版 社: 講談社

著     者: みなと菫

発 行 年: 2020年09月

白き花の姫王  紹介と感想>

良い意味で、非常にわかりやすい物語です。キャラクターの行動や人物像にブレがなく、期待通りに活躍してくれる明快さがあります。善玉と悪玉の明確な違い。主人公の苦節や苦衷も理解しやすい。深遠さやアンビバレントなものがなく、戸惑わされるところがない。またファンタジーではあるものの歴史モノであり、年少の読者にとっては知識が及ばないところを補完する試みも感じられます。作者の前作で戦国時代を舞台とした歴史ファンタジー『龍にたずねよ』では、現代の子どもたちに馴染みのない用語や言い回しを脚注でフォローしていましたが、今回は本文に現代視点での解説が入ってくるなど、より若い読者に歩み寄る姿勢が見られます。なによりも、この作品が、物語の面白さの典型性をトレースしているところに興味をひかれます。僕はついぞ「ただの活劇ではない」という言葉で、深掘りされた物語や、複雑なメンタルを内包した物語を褒めてしまいがちなのですが、「ただの活劇」の楽しさもまたあるものです。みなと菫さんの作品は、一見、幻想的な雰囲気をまとった、難解そうな佇まいがあるために、その内容のベタさとのギャップに驚かされます。本作も天平年間の平城京の貴族社会を舞台に、政争と陰謀に翻弄される少女を主人公とした物語であり、不遇な少女時代を過ごした健気なヒロインに、突然、求婚する男性が現れるなど、古典的な展開に不意をつかれます。その男性がまた精悍な美丈夫であり、なぜか主人公にはクールな態度をとるのだけれど実は、なんて、常套のロマンスのパターンが期待通りすぎるのです。さらに音琴は、天竺(インド)からやってきた神秘的な青い目の異国人の僧侶にも好意を寄せられたりと、往年の少女漫画のようなたまらなさもありました。題材に比して文体表現などに、やや違和感を覚えるところもありますが、年長の方たちにも現代児童文学ファンタジーのポストモダンとして、この魅力を存分に味わってもらいたいと思うのです。

宮中の神事と祭祀を司る官職にあった父、灘王が何者かの手によって暗殺されたのは、音琴がまだ五歳ばかりの頃のこと。討ち手は不明のまま捕らえられず、灘王は被害者でありながら神前を血で汚した者として、残された妻と娘はおのずと世間から距離を置かれるようになります。父親が暗殺されるところを目にしてしまい、そのことを心に秘めた音琴は、言葉を発することができなくなります。長じて采女として宮中に参内するようになってからも、話ができない音琴は、口さがない同僚たちに「だんまり」「物言わず」と呼ばれ蔑まれます。しかし、音琴はその気持ちを歌(和歌)にして唱えることならでき、その美しい声と歌は、病に伏していた皇后を慰め、珍重されます。皇后の快復を祝う宴で、天皇に望まれて歌を唄った音琴に、突然、相聞歌で返歌して求婚する男性が現れます。それは精悍な容貌をした王族の一人、雄冬王。秀才で弓馬にも長けた美男で、血筋も良く、采女たちからも高い人気を誇る二十代の男性です。どこかよそよそしく、いつも睨むように見つめてくる雄冬王のことを、音琴は怖い人だと思っていました。なぜ、突然に求婚されたのか心当たりもないまま、天皇がこの結婚を認めてしまったがために、音琴は戸惑います。一生、ひとりで誰の目にもつかぬように生きていこうと心に決めていたのに、誰もが羨やむ相手と添うことになってしまった音琴。とはいえ、住むようにと言われた邸宅にもいっこうに顔を見せない雄冬王の真意を、音琴は図りかねます。そうこうしているうちに、雄冬王は天皇の命により、遣唐副使として、唐に渡る任務を与えられます。夫と気持ちを通じ合わせることもできないまま、遥か遠い異国に雄冬王を送り出してしまった音琴はより淋しさに苛まれます。そして、寄る辺ないままに一人、日本に残された音琴は、国家を揺るがす陰謀へと巻き込まれていくことになるのです。

その祈祷の力で皇后を病気から本復させたとして、皇家から大きな信頼を得た僧侶、幻恍。皇后をそそのかし、自分の意のままに今上天皇を嗣ぐ皇太子を立てさせようとする、このラスプーチン的なピカレスクは、世俗を超越した大きな野望を抱いていました。立太子の策略が交わされるのを聞き知ってしまった音琴は、自らの身の危険を引き寄せることになります。かつて音琴の父と一緒に唐に渡っていたことがある幻恍は、音琴の父、灘王が道ならぬ邪教の力を得ようとしていたと言い、灘王がどこかに隠した宝物があることを音琴に示唆します。それは、時間を自由にあやつることのできる力を持つ、滅びの剣『ルタ(真実)』。この剣を手にして神の力を得ようとする幻恍と、この剣の本来の持ち主であり、剣の行方を追って天竺からきたという僧侶ヴァジュラが対決の時を迎えます。人の心の声を聞くことができるヴァジュラは、物を言えない音琴の気持ちを読み取り、やがて判明した父の仇と対峙して勇気を奮い闘う音琴をサポートします。そして、雄冬王の真意を知り、想いを募らせる音琴のために、発揮される摩訶不思議な力。そんなこんなの大活劇が、音琴が自らの気持ちを表すために詠む優美な和歌に彩られ、冒険の興奮とロマンスを満喫できる一大エンターテイメント作品として結実していきます。かなり荒唐無稽ではありますが、この惜しげもなく発揮される物語のパワーには圧倒されます。物語の典型性やクリシェをさんざん見知ってこられた年嵩の読者は、つい類型に当てはめてしまうかと思います。それは、かつてそうした物語を沢山楽しんできたからこその食傷であろうと思うのです。年少の読者が、はじめて知る物語の楽しさは、こうした展開にこそあるのではないのか。そんな気持ちを思い起させる新鮮な感覚がここにありました。初心に戻って楽しみたい一冊です。