雨の日が好きな人

出 版 社: 講談社

著     者: 佐藤まどか

発 行 年: 2022年10月

雨の日が好きな人  紹介と感想>

本の表紙の装画が似ているのは、物語に共通点があるからです。たとえば『ぼくたち負け組クラブ』(講談社)と『ぼくは本を読んでいる。』(講談社)はともに少年が本棚を背景に本を読んでいる装画ですが、両方とも主人公が読者として本(名作)を読むことがストーリーの中心にあります。同じ出版社からの刊行であるため、なにか意図したものがあるのではないかと勘ぐってしまうほどです。本書『雨の日が好きな人』(講談社)と『アニーのかさ』(講談社)も大きな傘が印象に残ります。共通するのは、主人公の二歳歳上の兄姉が難病を患っていることです。『アニーのかさ』は兄が亡くなった後の物語で、その喪失からの心の回復が描かれます。となると、本書もあらすじを読みかじっただけで嫌な予感がしてしまうのです。物は壊れて人は死ぬ、と歌にもうたわれるように、それが自然の摂理であるものの、年少の主人公が受け止めるには重い試練です。また年少の読者にとってもハードな擬似体験であり、読書に怖じ気づくこともあるでしょう。自分もいい歳をした大人であり、実際、子どもの頃に家族を失う体験をしたことがあるわけですが、それが人生の糧になるとは言い難いし、未だにそうした物語の結末には怯えています。もちろん、家族の死を迎えた主人公の人生はそこで終わるわけではなく、そこから先をどう生きていくかが大切なわけで、ある意味、始まりです。家族の死を子どもたちが乗り越えていく物語は感動的ですし、その姿を見守る読者もまた力づけられます。その力の源とはなんなのだろうと考えると、やはり、共に生きた時間が培ったものだと思うのです。さて、本書は意外な終わり方をします。これは想定外です。本書はあらかじめ喪失と回復の物語ではなかったのです。つまりは僕の先入観による誤解です。そして、僕自身も驚くほどこの終わり方に安堵していました。大切なのは、生きている時間にどれほど心を交わし、人を思いやったか、という思いを新にさせられる結末です。未来の喪失を恐れて、今を愛しまないでどうする、と肝に銘じるべきところなのです。

小学六年生の女子、七海(ななみ)の名字が変わったのは、母親が再婚したからです。正確には、七海の父親は結婚前に亡くなってしまったため、母親は初婚だったのですが、ともかくも新しい家族ができたことを七海には嬉しく思っていました。母親の会社の同僚である新しく父親になった人には七海より二歳年上の娘の幸(ゆき)がいました。七海は姉ができたことを歓びましたが、病気でずっと入院している彼女とはなかなか会わせてもらえないのです。何故、せっかくできた姉である幸ちゃんと会えないのか。家族ができたのだから、もう一人で食事をすることはないだろうと思ったのに、母親も父親も、土日も病院につきっきりで、七海は逆に淋しい思いすることになります。母親に不平を言えば、自分が健康なことに感謝しろというようなことを言われます。学校でも上手くいかないことがあり、不満を募らせた七海は、ついに意を決して、一人で病院の幸ちゃんを訪ねることにします。初めて幸ちゃんと病室で会った七海は驚きます。幸ちゃんは七海を歓待してくれますが、その姿は、背中が曲がっていて、背が小さく小学三年生ぐらいにしか見えないのです。どうして両親は幸ちゃんに会わせてくれなかったのか。それは、健康で元気な七海の写真を見た幸ちゃんが、泣いて羨んだからだと幸ちゃんは自ら言うのです。自分の存在に自信を失っていた七海は、自分を羨む人がいることに驚きます。そして、幸ちゃんをはじめ、入院している子どもたちが、瀕死であるということにもショックを受けます。すっかり打ち解けた七海は、病院を訪ねて幸ちゃんと話をするようになり、学校の話をよろこんで聞いてくれる幸ちゃんの前で、自分の心の中に閉じこめていた声を七海は解き放っていきます。しかし、幸ちゃんの容態は急変して、意識不明の状態に陥ってしまいます。目覚めない時間は長く続きます。七海はいつも通りに学校生活を送リながら、幸ちゃんへの想いを深めていきます。その時間は七海に、自分をとりまく世界に目を向けさせていきます。やがて幸ちゃんが目覚める時を信じて、心の中で語りかけていくのです。

小児病棟の子どもたちを描く物語は、やはり読んでいて辛く苦しいものです。『小さいベット』などの村中季衣さんの初期作品の空気感を思い返し、あの児童文学的緊張感には陶酔してしまうものの、やはり気持ちが塞がります。そう対岸で考える以上に、当事者はどんなに苦しいか。ただ苦しんでいる人たちと勝手に思ってしまうのは失礼な話で、そこには色々な祈りや願いや希望があり、物語に描かれるその心映えもに心を動かされます。近年だと、小児病棟で知り合った二人の友愛を描いた『ぼくたちのスープ運動』も秀逸でした。本書のタイトルである「雨の日が好きな人」とは、七海目線で見た幸のことです。ずっと病院で暮らしてきた幸は何を思い日々を過ごしてきたのか。七海は幸をかわいそうに思いながらも、幸はどう思われたいのだろうかと考えます。その心の裡を想像することで、七海もまた人との関わり方を学んでいきます。幸は雨の日が好きだと言います。雨の日は誰でも分けへだてなく、外に出て遊ぶことができないから、雨の日だけは自分も普通の子になれる。毎日、雨が降るように祈っていたという幸。自分が健康になる希望も抱けず、人を妬んでもいられない。ただ諦めるという悟り。さて、妹として、この失意の姉をどう励ましたらいいのか。過保護な父親とは違うスタンスで七海は、幸に寄り添っていきます。一緒に生きる時間は、誰が誰を励ますということではなく、互いを支え合えるものだろうと思います。それは、誰かを失ったとしても、ということは、この際、考えないことにして、今の時間を愛することに全力を注ぎたいと自分もまた翻意させられた物語です。