睡蓮の池

ステフィとネッリの物語
Na¨ckrosdammen.

出 版 社: 新宿書房 

著     者: アニカ・トール

翻 訳 者: 菱木晃子

発 行 年: 2008年05月


睡蓮の池  紹介と感想 >
十二歳から十三歳へ。一歳違いだけれど、この差はとても大きいものです。「ステフィとネッリの物語」の前作『海の島』で、十二歳のステフィは、ドイツ軍の支配下に入ったオーストリアのウィーンを逃れて、「この世の果て」のような、海と岩しかないスウェーデンの小さな島に、両親から離れ、妹のネッリとともに移住しました。ユダヤ人であるネッリたち家族に迫っていた危険が、少しずつ目に見える形になってきた時代。ユダヤ人として迫害を受ける暮らしから救いたいと、未だ独立を保っていたスウェーデンには、多くのユダヤ人の子どもたちが疎開させられていました。本国で苦しい生活を送る両親。家族一緒にアメリカに渡るビザを取得できるまで、子どもたちもまた我慢しなければなりません。それぞれ別の漁師夫妻の家の里子となった、ステフィとネッリ。かつて華やかだった頃のウィーンのマンションでの暮らしからすると、なんとかけ離れた暮らしぶりとなったことか。不慣れなスウェーデン語を覚え、ユダヤ教ではなく、厳しい戒律のクリスチャンとしての生活を送る。しかし、ステフィは多くの経験をする中で「この世の果て」のような世界に、自分の居場所を見出していきます。そんな十二歳が終わり、十三歳になったステフィは、親しくなった里親たちと住む島からも離れて、中学校のある内陸のイェーテボリ市のお医者さんの家に下宿することになります。また新しい生活がはじまる。それが本書、『睡蓮の池』です。「ステフィとネッリの物語」四部作の第二作目。十二歳から十三歳へ。その一歳の成長が、とても大きい。児童文学から、思春期の面映ゆさを描く少女小説へのシフト。ステフィの一歳の成長の重みがあります。

疎開。日本国内の物語でも、空襲を逃れて田舎の村に、親元から離れた子どもたちの寂しくも過酷な暮らしぶりの話を、以前は良く目にしたものですが、疎開体験をした世代が高齢化したせいもあるのか(現在の子どもたちからすれば、祖父祖母の世代ですね)、それほど見聞きしなくなったような気もします。ましてや外国の子どもたちが、どのような戦時下を生きていたかなど、より寡聞ではあって、こうした疎開生活もあったのか、ということもこのシリーズで知りました。いずれにせよ、疎開生活は寂しく、親は恋しいものです。が、十三歳のステフィは、十二歳のステフィとはちょっと違います。両親のことを心配しつつも、親の考え方に素直に首肯できないことも出てきます。自分なりの考え方が芽生え始める頃。同級生たちとの関係や、距離のとり方に苦慮したり、下宿先の家の五つ年上の少年に密かに想いを寄せたり、自分に辛く当る人たちの意地の悪い感情に胸をふさがれたり・・・。ちょっと大人びた十三歳の等身大の心の痛みや悩みは、ワールドスタンダードな思春期そのものです。不吉な時代の足音が迫るヨーロッパ情勢を背景に、作者がかつて暮らしたというイェーテボリの街を活写しながら、ステフィ、十三歳の揺れる気持ちを描く物語。たった一歳の違いに生じた微妙な何か、に覚えのある方には、この物語とのシンクロを楽しめるかと思います。

児童文学大国、スウェーデンの多くの作品に触れ、その細やかな感受性の描き方には共感を抱いています。おそらく日本人にとても好まれる資質がスウェーデンの作品にはあるのかと思うのですが、その土地柄については殆ど無知なので、こうした作品を読んだ機会に、ネットで検索して楽しんでいます。今回は、前作の海と岩だけの島から変わって、ステフィが暮らす、国内第二の都市であるイェーテボリという街が舞台になっています。本の中にも1940年当時の地図が登場し、各場面の、具体的な場所が明示されているのは面白いところです。画像検索で、街の様子なども見てみますが、多少は、当時の風情が残っているのでしょうか。路面電車(トラム)や石造りの建物など、クラシックで、異国情緒があります。つい食べ物に関心が向いてしまいますが、何故か屋台が多いというケパブ、ザリガニ、ニシンの酢づけ、これも、美味しいらしいミートボールなど、庶民の日常食を見ると、ぐっと親近感がわくところです。いつか訪ねる機会があったら良いなあと思っています。