さらわれたふたりと少年使節

出 版 社: 鈴木出版

著     者: 中川なをみ

発 行 年: 2026年02月

さらわれたふたりと少年使節  紹介と感想>

戦国生まれキリシタン育ち、九州のバテレンだいたい友だち。と言えば、おなじみ天正遣欧少年使節です(自分の頭の中ではすっかり戦国鍋バージョンですが)。彼らの大航海とその後の波乱の人生は、日本の歴史上でも数少ない、ミュージカル化が相応しいロマン溢れる題材かと思います。戦国時代に日本とイタリアを往復した少年たちの世界を股にかけた大冒険。とはいえ、不思議と真正面から彼らを描いた児童文学作品は思い浮かびません。もっとも児童文学の歴史物は、著名人よりも市井の人(子どもたち)に光を当て、激動の時代に翻弄されながらも自分を成長させていく姿を描くことが身上なので、天正遣欧少年使節もまた主役になりえないというのが面白いところです。現代と過去をつないで、歴史の狭間に埋もれた子どもたちを描き出す名手、中澤晶子さんが、天正遣欧少年使節の一従者の少年にスポットを当てた『その声は、長い旅をした』は、数百年の時間を縦軸に、世界を横軸に描いた壮大な作品でした。一方で本書は、やはり歴史児童文学の名手である中川なをみさんによる、同じく天正遣欧少年使節の従者となった少年を主人公にした物語です。この題材でのお二人の競演はファンにとっては堪えられない企画です。理不尽で非情な時代に、運命に翻弄された子どもたちが、その身の不幸を嘆くのではなく、それをどう受け入れて、生きる力に変えていったのか。これまでの中川なをみさんの歴史物語の主人公たちと同様に、庶民が手仕事に習熟していく営みの中で、考えを深め、世界を広げ切り拓いていく姿に感銘を与えられます。中澤晶子さんの描く少年使節像との違いなども興味深い点です。こちらもまた歴史の中に埋もれた、あり得たかもしれない物語として、自分にとって心に刻まれる作品となりました。

キリシタン大名である大友義鎮が治める豊後の国。幼い頃に戦で父親を亡くした少年シロウは、ここで母親と二人で茶屋を営み、暮らしていました。年少ながらも工夫をこらしたシロウの料理の腕前は評判を呼ぶものでした。1582年(天正十年)のはじめ、十五歳になったシロウは、ひとつ歳下の幼なじみである古着屋の娘のハナと、食材を探しに山奥に踏み込んだところ、見知らぬ男たちに襲われ、捕えられてしまいます。馬車の荷台で運ばれ、南蛮船で働かされれる荷運びの奴隷として、シロウは外国人に売り渡されてしまったのです。一緒に捕まったはずのハナの行方は知れず、窮地で絶望に陥っていたシロウを救ってくれたのは、かつて知遇を得ていた宣教師のヴァリニャーノでした。自由の身になっても、ハナの身を案じるシロウは、家に戻ることをせず、なんとかハナを探しだそうと、連れ去られた可能性のあるマカオやインド、ヨーロッパまで行くことを決意します。シロウはヴァリニャーノが乗ろうとしていた船で料理人として働かせてもらうことになりました。この船の一行は、遠路、教皇に謁見するためローマに向かうヴァリニャーノ率いる少年使節団だったのです。以前に面識のあった伊東マンショをはじめとした、四人の年少の少年たちに食事を供する役割を与えられたシロウは、良家の子弟である彼らとも親しく打ち解け、この長い船旅に身を投じていきます。船は大きな嵐に襲われることもあり、つらい船旅は続きます。そして寄港地に着けば、シロウはハナの行方を探すために奔走するのです。年の暮れとなり、ハナと別れて一年近くが経って、ようやくシロウはマカオでハナを見つけ出します。ハナもまた下働きながら、周囲の人たちの信頼と仕事を得て、無事に暮らしていました。かならず迎えにくることを約束して、シロウは再び少年使節団との旅を続けます。不穏な男の存在に邪魔されながらも、行く先々で見聞を広め、シロウは料理の腕を磨き、この世界を体感していきます。再び消息を見失ったハナを求めて、少年使節団に同行するシロウの旅は、やがて終局の欧州へと到達します。不幸な偶然からとはいえ、そこに活路を見いだして、貴重な経験を重ねていく、少年の成長が清々しい物語です。

十五夜に(1582)舟を漕ぎ出す少年使節は、いちごパンツ(1582)の本能寺と同じ1582年です。語呂合わせとしては前者の方が秀逸ですが、日本国内のキリスト教の庇護者であった織田信長が討たれたのと同じタイミングでの船出は、彼らの将来を暗示しているようでもあり、帰国後の運命の転変を思わせます。本書の本編ではまだ語られないことですが、苦難の旅だったとはいえ、ここまでは守られて順風満帆で進んでこられた少年使節の面々も、後にキリシタン弾圧の中で、その身の振り方を選ぶ時がきます。とくに棄教したとされる千々石ミゲルや殉教した中浦ジュリアンは、それぞれが選んだ道での葛藤や、袂をわかった仲間たちを想う気持ちなどもあったのでしょう。一方で、歴史的な転換点に運命を左右された著名人たちの陰には、記録には残っていない人たちの数多くのドラマがあり、フィクションが描く無限の可能性には想像をかきたてられます。本書は、世界を横断して、さらわれたヒロインを取り戻そうとするコナン(未来少年)やラピュタ(天空の城)めくオールドアニメ的な主人公の英雄行動よりも、ヒロイン自身が、窮地にあっても自らの生き方を模索していく逞しさに見惚れるところです。ただ信じて助けを待ってるだけではなく、彼女もまた人生の開拓者だったのです。過去の時代や未来世界を描くものであっても、物語が書かれた現代が色濃く反映されます。ここに描かれたヒロイン、ハナの行動力は、今を生きる子どもたちを魅了するでしょう。「さらわれたふたり」それぞれが、強い意志を持って生き抜いた物語であり、女子もまた広い世界で、自分の才覚を発揮する、この地球を生きる子どもであるあたりが痛快です。自分の手仕事に関心が向きがちな主人公よりも、大きなビジネスを志向するヒロインの視野の広さ。怜悧で機転が利く、その賢さや才能は、日本にいたら開花しなかったのではないか、とはいうものの、これもまた運命の匙加減。ひとつ間違った時のリスクは計り知れないものです。さらわれてよかった、なんてことは一切ないものの、どんな窮地からでも活路を見出すバイタリティと挫けない心は、いつの世も求められるものです。ハナが、遠慮なくハッキリとものを言うあたりが印象的で、シロウに対しても手厳しいのですが、言うべきことを言わないと人には伝わらない、というのは、曖昧なコミュニケーションと過剰な気づかいばかりの現代の悪弊を避けるソリューションではないかと思っています。さて、本書の悪役ながら気になる存在が、シロウとハナをさらった男、トシです。金のためならなんでもやる、という悪辣さではなく、それが仕事なのだ、というスタンスで、シロウに問い詰められても悪びれない男です。仕事だから仕方がないというエクスキューズが人間の罪悪感を払拭するという事態は、闇バイトとして雇用されて犯罪を行うハードルの低さを想起させられます。シロウやハナとはまた違った仕事へのスタンスではあるのですが、悪事も仕事だと割り切れる人間もこの地球には存在するのです。無論、そんな多様性を認めるわけにはいきません。畢竟、人にとって仕事とは何か。シロウやハナのように、自分の仕事に矜持を持ち、生きる力を得るためには、仕事への責任を請け負わなくてはならないのだろうと思うのです。ということで、人に生きる力を与え、救うものは、神のご加護や恩寵ではない、という展開も興味深いところです。果たして、世界の真理はどこにあったのか。あれだけキリスト教の信徒たちと親しく一緒に過ごしたはずのシロウが、感化されることも、信仰に傾倒することもないまま、自分の仕事にライフテーマを見つけるあたりもまた、神なき現代に生きる糧を考えさせられました。