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出 版 社: 鈴木出版 著 者: フィダン・ミークル 翻 訳 者: もりうちすみこ 発 行 年: 2022年09月 |
< ぼくの名前はサミーム 紹介と感想>
アフガニスタンの子どもたちの物語を紹介したこのペーパーを作ったのは、2019年の終わりでした。ちょうどデボラ・エリスの『生きのびるために』のアニメ化作品がアカデミー賞の候補となって(受賞とはなりませんでしたが)、自分の中でこれまでのアフガニスタンの子どもたちの物語を振り返る契機となったのですが、本書は、この時期が物語の起点となっています。アメリカ軍がアフガニスタンから撤退することが合意され、タリバンが再度、国内で勢力を強めていく時期です。アフガニスタンの子どもたちの苦難と、そして物語はまだまだ続いていました。アメリカとのアフガニスタン紛争が終わっても、内紛は続き、普通の人々の平和が蹂躙されていった様子が物語には描き出されます。混迷が続くアフガニスタンの物語を読む際には、背景を確認するために年表を手繰ることになるわけですが、束の間の平安はあっても、常態として政情不安があって、時に子どもたちは親と離れ離れとなり、窮地に追い込まれています。近年、アフガニスタンだけではなく、自分の国から逃れて難民となった子どもたちの物語が数多く翻訳刊行されています。世界情勢は緊迫し、紛争が絶えない中で、自分の国から逃げることを余儀なくされた子どもたちが、実際にいます。そして、そんな難民を迷惑な存在とみなす人たちもいます。難民がこなければ、難民排斥などと言わなくて済んだのだという理もあるでしょう。そもそも難民が生み出す紛争や戦争が問題なのですが、もちろん絵に描いたような解決策はないことを前提として、難民となってしまった人たちとどう共生していくべきかは受け入れる側に問われていることです。難民の子どもたちの物語は、逃げのびることで命を繋いだ困難な旅と、たどり着いた先で受け入れてもらえない疎外とがセットになっています。本書もまたその両面が並行して描かれ、そしてさらに、多くのものを失っただけではなく、自分だけ逃げのびてしまったことへの悔恨に苛まれる少年が主人公です。そんなダメージから回復するにはどうしたら良いのか。大きな失意を抱えた少年の、実に読み応えのある遠大な心の旅路が描かれていきます。
アフガニスタンのガズニ州の村で暮らす少年、サミームが、家も家族も失い、国から逃れることになったのは、彼が十歳と四ヶ月と七日目のことでした。その日数を正確に把握しているのは、彼が数学の天分のある明晰な少年だからです。同じイスラム教徒であっても、反目しあうシーア派とスンニ派。武装組織タリバンは、ハザラ人でシーア派のサミームの村に爆撃を行いました。両親と妹を失ったサミームは途方に暮れながらも、親友のゼインとともに叔父に連れられ、過酷な逃避行を始めることになります。イランの石切り作業場で、紛争から逃れた多くの亡命希望者に紛れて働きながら、なんとか食事にありつき生きのびる三人。過酷な環境の中でも、同じ亡命者である元大学教授のカリームさんの薫陶を受け、サミームは知識を得て、考えを深めていきます。先の見えない亡命生活は二年間も続き、叔父はついに、先に進むことを決意します。イギリスに住む兄のもとへと向かう。しかしそれは、中近東を越えて欧州を横断する危険で遠大な旅となります。密航業者を頼りに劣悪な環境で移動を続ける三人でしたが、現地の警察に摘発され、銃撃によって叔父は怪我を負います。それでも先に進むことを、希望を抱いて未来を掴むことをサミームは託されます。叔父と別れ、イギリスに住む伯父と繋がる携帯電話だけを頼りに、西へと向かうゼインとサミームの二人。トルコを経て、ギリシアへ。多くの出会いと別れに二人は遭遇します。タリバンに両親が執拗に狙われていたのは、公正な世の中を求めてアメリカ軍に協力していたからだと、サミームはこの旅の途中で知ります。星くずである自分たちは闇の中でこそ一番輝く。自分たちは、太陽や月や宇宙と同じように大切な存在なのだ。その宿命と、カリームさんの教えを胸に、孤児であり、難民である少年は、不安な気持ちを抑えるために円周率を唱えながら、過酷な旅路を生き抜いていくのです。
物語は、イギリスで一人、密入国者として保護されたサミームの現状を、もうひとつの基点としています。過酷な旅を一旦は終えたものの、叔父と別れ、伯父の連絡先も失い、なによりも親友のゼインを失ったことがサミームの心を苛んでいます。旅の途中で安心できる場所に留まることもできたのに、あえて先に進んだサミームの決断がゼイン死を招いたことに、彼の心は苦しめられています。過酷な旅を振り返りながら、並行して描かれるサミームの現在は、亡命許可が下りて、この国に留まれるかどうかもわからない不安定な立場です。保護施設から通い始めた学校では、執拗に彼に嫌がらせをする少年、マックスもいます。同じように辛い世界を生き抜いてきた友人たちを得ることができ、学校でも得意な数学やチェスで頭角を現したサミームでしたが、そのことがマックスの不興を買い、その挑発に乗せられ、窮地に追い込まれてしまうのです。サミームの苦闘の連続には思わず嘆息してしまいます。マックスは何故、サミームに牙を剥くのか。たしかに、人間の敵意とは御し難いものです。自分のテリトリーと思しき場所に入りこんだ異分子を排斥したいと考えるのは、本能的なことです。チェスが得意なことが誇りだったマックスの居場所に、サミームには悪意がなかったとはいえ、実質的に侵攻していたのです。かといって、理性と寛容をマックスに求めることには無理があります。サミームの事情を深くは知らないマックスと、なぜ敵対されるのかさえわからないサミーム。ここから生まれる対立と暴力は、紛争の縮図です。などと話を拡張して、マクロ的に語ってはいけないというのが、本書の意図するところではないかとも思っています。その状況を俯瞰して、理路整然と分析するよりも大切なことがあります。紛争に巻き込まれた一人ひとりが統計上の数字の一部ではない当事者です。失われたひとつの命もまた、名前を持った誰かです。そんな一人ひとりの名前を掲げて、存在の大切さを訴えることが、本書のタイトルへとつながっていきます。この物語が突きつけるもの、問いかけるものに、読者もまた自分の答えを持たなければならないでしょう。少なからず、自分に不利益がある中で、人に居場所をシェアするためには、共生の理想が胸に灯っていなければと思います。そんな気持ちが養われる読書となります。世界を知るきっかけは、意外にも近くにあるのです。
