メジルシ

出 版 社: 講談社

著     者: 草野たき

発 行 年: 2008年05月


メジルシ  紹介と感想 >
メジルシって・・・と、いきなり絶句してしまいましたが、この作品、ギリギリのテーマに肉薄しています。その重さを中和させているのが、主人公である双葉の健全な「普通っぽさ」です。それは物語の救いであり、このテーマを読み解く重要な鍵となっているのではないでしょうか。両親がまさに離婚しようとしている、中学三年生の終わり。春から全寮制の高校に通うことになっている双葉は、父母のどちらとも暮らさない予定です。とはいえ、それは双葉にとってそれほど心配な問題ではなく、むしろ来るべき新生活への期待の方が勝っている状態。これまで一緒に暮らしてきた家族がバラバラになって「解散」してしまうことに、一番、抵抗があったのは、父親だったかも知れません。最後の思い出づくりに北海道旅行をと、父は企画します。やはり、一方的に母から離婚を切り出された父は、まだ納得ができていないようなのです。お父さんはあまりさえない感じですが、ごく普通のイイヒト。でも、お母さんは、ちょっとオカシイ。静かに壊れている。ごく普通の常識人の範囲で暮らしているだけに、この微妙な壊れ方は、逆に、恐ろしい領域に入り込んでいます。そんな家族、三人三様。重いテーマを孕みながらも、いたって軽調に北海道旅行は進みます。お約束どおり、札幌時計台にガッカリしたり、旭山動物園に行き損ねてガッカリする、ごく普通の旅行風景。やがて家族のドラマは「母子関係」の愛情不全に深く切り込みつつ、それでも、これからの双葉の、そして家族の未来を明るく照らそうとしています。とはいえ、メジルシってねえ・・・。そんなつぶやきもまた、溜息とともに吐き出すことになる読後感の作品です。

この「家族の解散旅行」の途中で、双葉は、ずっと疑問に思っていた母親との関係性を見つめ直すことになります。双葉は自分の母親に対して、ちょっと懐疑的になっています。決して双葉の顔を直視しようとはしない母親。いつも双葉から目をそらす母親。だから、双葉もストレートにケンカしたり、甘えたりすることができないのです。少し変わった性格の母親には、友だちもおらず、所謂、「生き難さ」を抱えたタイプの人です。それは、厳しく彼女を育てた、双葉の祖母との関係性に問題があったのかも知れません。抑圧を受けながらも、癒着して、離れられない、そんな「母子カプセル」の愛憎の中で育った母。彼女の魂の彷徨は、それでも、自分の母親が亡くなったことを契機として、新しいルートを見つけ出そうとしています。双葉にとっては、優しくて、甘かった祖母が、自分の母親にとっては、多くの葛藤を孕む存在であったということ。そして、自分の娘を育てる、ということに対して、母親が抱いていた葛藤など、双葉にとっては知る由もないことです。この物語は、現実であれば、「あまり触れずに済ませてしまうかも知れない家族関係の微妙なところ」に、真正面から切り込んで、しかも、ちゃんと話し合って和解する、ステージまで到達していきます。これは、スゴイことです。壊れているのがお母さんだけで、双葉が、比較的そうした影響を受けずに健やかに育ったことは、奇跡かと思いますが、双葉には良い親友やボーイフレンドがいて心を支えてくれていたり、鈍いけれど優しいお父さんの無心の愛情がバックアップしてくれていたからなのかも知れません。いや、そのあたりの防護壁のおかげで、なんとか、安心して読んでいられるわけですが・・・。

YA作品の魅力として、世界とバランスがとれない間の悪さや、「生き難さ」を抱えている状態などが特筆されますが、この作品では、お母さんの属性としてそれがあり、子ども視点から見つめられる、というあたり、かなりキテる作品だなという印象を受けました。親が、常識の範囲でダメなヒト、というのはまま見かけるものの、ちょっと精神病理的に変、というニュアンスが登場するのは、このところ(この作品が書かれた頃)の穏やかなYAにはあまりなかったのではないか。愛情不全による発達課題のしくじりは、はるか乳幼児期にまで遡って、人間の性格形成に影響を及ぼす、というのは、学生時代に心理学で学んだところです。それって、本人には、どうしようもないじゃん、と途方に暮れたものでした。親の性格が分裂していて、異常な行動に出てしまったら、その影響下にいる無力な子どもには(それなりにパターンは読むでしょうが)、耐えられる限界があります。僕も、子どもの頃に、親が時折、ウツ状態に入ってしまうのを見ていたのですが(当時はそういう事情が良くわからなかったので)、かなり混乱していました。なので、胸が痛みます。この作品の主人公である双葉が、スポイルされず、逆に、物語の終わりに母親の弱さを受け止めるあたりに、ぐっとくるところはあります。愛情は本当に与えられていなかったのか、愛情を感じとることができなくなっていただけではないのか。思い込みは幻想かも知れず、それでも、そうした幻想に心を病んでしまうのも人間です。健やかな愛情、以外のものでも人間のハートは鍛えられるものですが、心の栄養をたくさん与えてもらえるような子ども時代が、誰にもありますように、そう願いたいです。