ファミリーマップ

出 版 社: 文研出版

著     者: おおぎやなぎちか

発 行 年: 2023年04月

ファミリーマップ  紹介と感想>

LGBTQなど性別の多様性が大いに認められるようになった現代(2023年)です。戸籍上の性別や身体的にも男性だけれど、心は女性であるトランスジェンダーへの認識も広がっています。と書きながらも当事者の生きづらさは、それほど変わらないのではないかと想像するのは、法制度上の障壁が多かったり、多少、意識が変わったとはいえ、保守的な人たちからの冷淡な反応は相変わらずだという状況が垣間見えるからです。とくにガタイの良い男性が女言葉を使えば奇異に思われるし、声高に「オカマ」や「オネエ」などと蔑まれることはなかったとしても、色眼鏡で見られることはあるでしょう。実際、表だって言われない分、SNSで飛び交う悪意は尋常ではなかったりもします。児童文学の中では、こうした個性を持つ大人たちが特別なキャラクターとして存在感を放つことがあります。秀逸な作品であった『超・ハーモニー』から四半世紀、『声の出ない僕とマリさんの一週間』から約十年という現在地で、こうした個性を持つ人物像の描き方はいかに進化したのかを本書は問われています。トリッキーなワイルドカード的存在でありながら、一方で「覚悟を決めた人」としての強さと、深い思慮があるというのが、その人物像の常套です。主人公である子どもの視線の先にいる、そうした人たちは、コミカルな態度をとりながらも、真理を言い当て、時に哀しみを背中で見せてくれます。その存在感が語る説得力に、悩める子どもたちも力づけられていきます。読者もまた、自分の感覚の進化を問われる、読書の挑戦がここにあります。

三歳の時に母親を交通事故で亡くした陸(りく)は、父親の手ひとつで育てられました。もっとも、実際に手を動かしていたのは、よっちゃんです。会社として忙しく働く父親に代わって、学生の頃からの友人である、よっちゃんが家政婦代わりに日参して陸の育児や家事を担ってくれたおかげで、陸は不自由なく育つことができました。大きな身体をした男性だけれど、心は女性であるというよっちゃん。なんでも屋を営みながら彫刻に打ち込んでいるよっちゃんは、女言葉で話し、時に辛辣な言葉で陸を叱ります。よっちゃんの薫陶を受けて育った陸は、中学生となって自分で家事もこなせるようになった今でも、よっちゃんを慕い、悩みごとを相談していました。父親が再婚する。しかも、相手の女性のお腹には赤ちゃんがいるということを、陸はどう受け入れて良いのかわかりません。母親ができたことで、陸は、父子家庭の子ではなく、普通の家庭の子になり、自由な時間が増えました。とはいえ、まだ若い母親との距離を陸は測りかねて、どう振る舞ったら良いかわかりません。家事を手伝う匙威厳も難しいのです。そんな折、お腹の中の子が、父親の亡くなった後輩の男性の子なのだと知らされます。何故、父親はこの人と結婚しようとしたのか。血の繋がらない自分は赤ちゃんにどう接したら良いのか。とはいえ、陸の妹ととなる赤ちゃんが産まれると、家族はその喧騒に振り回されていきます。そんな時、ヘルプに来てくれたのは、やはり頼りになるよっちゃんです。ところが、この赤ちゃんをめぐるトラブルに巻き込まれて、よっちゃんは窮地に陥ることになります。ひそかに、陸とよっちゃんとのお別れの時が近づいていました。家族とのつながりや、自分はどう生きるべきか悩める少年が、次のステップを踏もうとしている季節があざやかに描かれていきます。なによりも陸が、恋愛や家族愛を越えて、人間愛に想いを至らせる終局には深く感じ入るところがあります。

LGBTQという概念が前提としてある新時代の物語です。よっちゃんを説明可能な人として扱っていることも新機軸です。とはいえ、偏見の苦さもまだ残されています。時代の趨勢として、同性婚や夫婦別姓などに対して、伝統的な家族観を損なうものとして、反発する層の存在が逆照射される昨今です。以前はそちらが主流派であったことを思えば、社会の進歩も感じとれます。その頑なさに辟易しながらも、一方で、その主張の強さと正しさへの自負に一目置くところもあります。それは今までの自分の正統派の生き方に裏打ちされたものなのではないのかと思うのです。自分も主人公の陸と同じように父子家庭で育ちました。確かに、両親が揃った家よりは生活の不自由はありますが、自ずと家事全般に通じたことで、家庭での男女の伝統的役割分担については開明的になった気はします。一方で、家事負担などを言い訳にして、自分は普通の家の子ではない、というモードに入り込んで、「普通」から逃げていた記憶を本書に呼び覚まされました。真っ当に学校生活をエンジョイする、という勝負から下りる口実になっていたのです。伝統的家族観を信奉する人たちや、真っ当な青春を送るべきだと言う人たちは、強者の理論を振りかざしているようにも思えるのですが、正面から人生に挑んで、試練に立ち向ってきた人たちなのかもしれません。強者の理論から逸脱した人たちが見出す「搦手からの幸せ」や「逆説としての幸福」について、今となってやや懐疑的になってしまっているのは、逃げてばかりいた自分の不甲斐なさがあるからです。そうした後悔があるため、陸が遅ればせながらも陸上部に入部したり、教室で正面切って意見を言うあたり、実に良いなと思ったのです。アウトロー志願ではなく、本流を志向すること。異端の中にこそ真実があるという逆説を越えていくこと。よっちゃんとの別れに象徴的なものを感じるのは、そうした転向の契機だからと思うからです。マイナーにもメジャーにも、アウトローにも正統派にも、青山あり、なのだろうと思います。なんと言っても究極は、人間愛です。それはすべてを照らす光です。普通ではないことに寛容であることも大切ですが、それでも、普通の幸せへのアプローチをすべきなのだろうと思います。本書は、家族のフレームを解体し、再構築していく物語です。そこにはファミリーツリーだけではない、拡張された家族のひろがりがあります。血のつながりだけではない結びつきを描く擬似家族の物語は多いものですが、そこにこそ真実がある、のではなく、いたるところに真実があることを、広い視野で受け入れることが真理に近いのではないかと、この物語が見せてくれたものから考えています。