ミシシッピがくれたもの

The river between us.

出 版 社: 東京創元社

著     者: リチャード・ペック

翻 訳 者: 斎藤倫子

発 行 年: 2006年04月


ミシシッピがくれたもの  紹介と感想 >
ショウボートの時代。芸人やバンドマンを満載した、その大きな客船、ショウボートは巡回劇場として、ミシシッピ河沿岸の町々に興業を打ちにやってくる。娯楽の少ない河沿いの田舎町では、その動く劇場がやってくることを心待ちにしていた。大人も子どもも、少年も少女も。1861年、時に南北戦争の戦火は激しくなり、庶民の生活にも多くの影を落としていた。ショウボートの訪れは、そんな暗く淀んだ空気を吹き飛ばす、華やかなお祭りの気分を連れてきてくれる。イリノイ州は、北軍の首領、リンカーンの出身地でもあり、奴隷解放の大義を掲げて、分離派の南軍と矛を交えていた。このイリノイ州の田舎町グランドタワーに、南部ニューオリンズから二人の少女が舞い降りたのは、ほんの数ヶ月前のこと。資産家のお嬢様然として着飾ったデルフィーン。彼女は、質素な身なりをした「肌の色の濃い」少女を傍らに連れていた。交通網が遮断され、これ以上、北上できず足止めされた旅の二人。この田舎町には不似合いな壮麗で可憐なデルフィーンと、寡黙なカリンダ。町の人々は、カリンダを逃亡奴隷と思い、それが何故、お嬢様を連れて逃げているのか、と邪推していぶかしんだ。彼女たちは、とあるきっかけで、この町に暮らす双子の兄妹、ノアとティリーの家に逗留することになった。周囲の好奇の眼を寄せられながらも、自分たちのペースでここの暮らしに慣れ始めていく二人。ふくらんだスカートにボンネットをつけた魅力的なデルフィーンに町の男たちの視線はくぎづけになった。同じ屋根の下に暮らす少年ノアは、無論、意識しないではいられない。多くを語らない神秘的なカリンダは、占いや「見えないもの」を見ることに長け、双子兄妹の末妹で霊感の強いキャスと心を通じ合わせるようになる。ショウボートがやってきた日。おしゃれをして出かけたノアたち一家と、デルフィーンとカリンダ。テンポの速い音楽と陽気なバンドマンに請われて、客席にいたカリンダは、ステージでダンスを披露することになる。そのあまりにも見事で華麗な踊りは、この田舎町の人々をも魅了した。淑やかで美しいが気の強いデルフィーンと神秘的で躍動感あふれるカリンダ。この二人連れに隠されていた秘密とはなんだったのか。戦争は刻々と深刻さを増し続け、ショーボートの興業もこれが最後となるという。今は、失われてしまった、あの1861年の輝ける日々・・・。

この物語は、今は祖母となったティリーが、孫たちに語り聞かせている昔話です。あの頃は、将来のことなど、何もわかりはしなかった。現在(1916年)のティリーの視点から、痛みを孕んだ想いとともに、回想される「あの頃」。南部からやってきたデルフィーンとカリンダ、そして、自分の母や、兄のノア、妹キャスのこと。従軍し負傷したノアを野営地に見舞うデルフィーンとティリーが見た戦争の惨状。そして、ティリーンが知ることになる、北部では意識されることが少なかった人種差別の痛み。白人が黒人奴隷を「所有する」だけではない、混み入った南部の事情。自由で富裕な黒人は、また黒人奴隷を有し、貧しい白人の移民たちからは、羨望と嫉妬を、侮蔑の形で与えられる。黒人たちは、何を己の矜持とし、何を心の支えとして生きにくい世の中を生き抜いていったのか。南北戦争の終りから、一次大戦まで、この物語の間に横たわる、語られない時の流れにもまた、深く思いをはせたくなります。秘密めいた物語の面白さと、少女たちの繊細な感受性、そして奴隷制度や戦争、差別、という歴史の中で犯されてきた人間の罪についても、この作品は抱合し静かに物語を紡いでいくのです。非常に良く出来た作品で、充実の読後感が得られる一冊です。

少女の感受性が、現在進行で目の前の出来事を捉えるだけではなく、今は年を重ねた彼女が、遥かな過去の出来事として、あの頃の自分をも見つめる視線が輻輳していくあたりにこの物語の妙があります。語り手の「回想」という手法のもたらす味わい。作者リチャード・ペックのニューベリー賞受賞作シカゴより好きな町』もまた、世界恐慌の不況にあえぐ1939年、その時代に暮らす少女の現在進行の語りであると同時に、回想の少女時代を振りかえる視線に心を揺るがされました(ああ、この物語はすべて回想だったんだ、とわかる一行に行き当たった時の驚きを今も覚えています)。歴史の大きなうねりの中で、一般の庶民が、無名人のまま、活き活きと生き抜いていく姿には、その時代の風俗を知らない読者にも、心を重ねさせることができます。あの1861年、ミシシッピ河に浮かんだショウボートの中の、輝きに満ちたステージを、心おどらせ見つめていた視線たちよ。戦火に家族を喪った悲しみよ。若かりしアメリカの日々を、歴史に揺れた庶民の生活の息吹を感じつつ、味わうことのできる充実した作品でした。

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