リキシャ・ガール

Rickshaw girl.

出 版 社: 鈴木出版

著     者: ミタリ・パーキンス

翻 訳 者: 永瀬比奈

発 行 年: 2009年10月


リキシャ・ガール  紹介と感想  >
お父さんの大切な商売道具であるリキシャ(東南アジアの自転車タクシー) を壊してしまった十歳の女の子ナイマ。姉妹のどちらか一人しか学校に行けないほど貧しいナイマの家では、リキシャを修理するためにはお母さんが大切にしている腕輪を売らなくてはなりません。なんとかお金を稼げないものかと考えたナイマは、男の子の恰好をしてリキシャの修理店に下働きをさせて欲しいと願い出ます。何故、男の子の恰好をしたかというと、ナイマの暮らすバングラデシュでは女の子はもっぱら家の仕事をするばかりで外で働いたりはしないからです。女性は大人になったら身体にサリーを巻き付けているお国柄ですから、外でアクティブな仕事をして稼ぐなんてありえないのです。ところが、ナイマが働かせて欲しいと頼み込んだ修理店の主人は女性だったのです。女性が自分の技術で商売をして、お金を稼いでいることにナイマは目を見張ります・・・。

さて、本作品は、マイクロファイナンスという小口の融資制度について書かれた児童書です、というと非常に不思議な感じがするのですが、この物語の夢をかなえる「魔法」と「希望」は、その融資制度にあるのです。ナイマが知り合ったリキシャ修理店の女性主人もまた、この融資制度である「女性銀行」を利用して商売を始めることのできた一人でした。「貧困」というものを人々は、どう呑みこんだらいいのか。児童文学としては、貧しいけれど世の中には大切なものがある、という道義を見せるべきものかも知れません。でも、ひとつの現実的な手段として「低金利で商売の資金としてお金を貸してくれる制度」があるわけです。児童文学世界としては異次元の解決方法だし、虚をつかれる展開ですね。元手があれば、商売をして豊かになることができる。支援する金融機関があれば、多くの人たちは貧困から救われる。しかも、これはバラマキ的な施しではない自立支援です。作者あとがきに、この制度がバングラデシュで奏功していることが触れられています。そして、自分で商売をはじめた女性と出会ったことは、ナイマの人生にとって希望の光となるものだったのです。

女の子であるために自分は家族の役に立てないと思っていたナイマ。幼なじみの男の子のように、自分もリキシャを漕げれば父さんを休ませてあげられるのに、と思っています。絵は得意だけれど、それが商売に結びつくとは思ってもいなかったナイマは、修理店の女性主人を見て、自分に可能性を感じます。リキシャは美しい絵を描いたパネルで装飾されています。ナイマは将来、このリキシャ絵を描くことで、生計を立てられるのではないかという希望がここに生まれました。貧しくて学校にいけず、かといって外で働くこともできない中途半端な苦しみ。「子どもを働かせる世界」の是非はともかく、自分が活かされる道を見つけだしたナイマの喜びがここにはあります。この作品も、2010年度の課題図書なのですが、現在の国内の様々な経済状況下にいる子どもたちが何を思うのか、は興味深いところです。経済的な独立を達成する、という喜び。それに歓びを感じるものなのかどうか。融資してもらえても、自分で仕事を興したり、技術を習得しようとするバイタリティがネックです。貧しくとも、心が折れていない健全さ。日本とバングラデシュのカルチャーギャップも興味深い作品です。

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