海―ひとつの朝

出 版 社: 岩崎書店

著     者: 八束澄子

発 行 年: 1986年03月

海―ひとつの朝  紹介と感想 >
造船所のある瀬戸内海の島。ここに両親と祖母と一緒に暮らしている安子は小学四年生。豊かな自然の景色の中で、ささいな冒険に興じたり、級友たちと遊びつかれるまで一緒にいることが楽しい毎日。東京からきた転校生の遠藤さんは大人しく、活発で陽にやけた島の子たちとは違って真っ白な子でした。次第に島の子たちとも馴染み、安子とも親しくしてくれるものの、造船会社の課長社宅に住む遠藤さんに、安子はなんとなく引け目を感じています。鶏をさばいて、かしわ肉を売り歩いている安子のお母さんが、遠藤さんのお母さんにへつらうような態度をとることが気にかかったり、遠藤さんの悪気のないちょっとした態度に、安子は不意に傷いてしまうこともあります。それはどこか、自分のことを恥ずかしく思っている気持ちのせいなのかも知れません。この物語は小学四年生の安子が家族や友人たちを一途に愛する気持ちを抱きながらも、不合理な社会を垣間見て、アンバランスな自分自身に翻弄されるお話です。心が揺れ始め、無邪気なだけではいられなくなる年頃。自分のまわりで起きる悲しい出来事を安子は精一杯受け止め、心を震わせていきます。それでもひとりじゃない。ひとつも言葉にはされないけれど、家族の深い愛情に安子がちゃんと守られていることが実感できる物語です。悲しいことがあっても、乗り越えていけるつながりがある。読むことで、力づけられる作品です。活き活きとした方言での会話や、瀬戸内海の島の人たちの暮らしぶりなど、情感をみずみずしく描き出す、八束澄子さんのデビュー作です。

安子のお父さんは造船所で働く職工です。同じ職工でも、同級生のしげちゃんのお父さんは臨時工で、本工である安子のお父さんとは待遇が違います。しげちゃんのお父さんは危険な仕事をさせられて大怪我をしてしまい、それでも自分の不注意として補償もされず、生活は困窮していきます。好況にかげりが見えてきた時勢です。会社は効率を求めて、職工を追い立てながら働かせようとします。汗と油にまみれ、火花に焦がされ、心と体をばらばらにしておかないと終業までもたないと、安子のお父さんは言います。過酷な労働環境で、それでも誇りを胸に働く父親を、安子は見つめています。課長さんである遠藤さんのお父さんもまた、家庭をなおざりにしてまで仕事をしていました。大人たちがそれぞれの立場で辛い思いを我慢しながら精一杯働いている、この社会の現実を安子は感じとっていきます。両親が辛い仕事に耐えて働いているのに、暮らし向きは楽にはならない。危険な職場で汗と油にまみれて、下げたくない頭を下げて、お金を稼いでいるのに、自分には何もできない。子どもである自分には、どうにもならないことに感じる無力さや悲しさ。子どもが社会に出会う頃の鋭敏な感覚が、見事に表出された作品です。

子ども時代に遭遇した、いたたまれない出来事を数えはじめると、それこそ枚挙にいとまがありません。おおよそは自分のしくじりが原因です。子どもゆえの短慮や、制御不能な衝動によって、取り返しのつかないことをしてしまう。友だちを傷つけてしまったことや、親をがっかりさせたこともあります。言わなければいいことをどうして言ってしまうのか。注意されていることを何故やってしまうのか。それにはどこか満たされない気持ちがあったからだと思います。悔しさや寂しさ。この物語には、そうした懐かしくも切ない思いが詰まっています。制御不能な心の隙間のために、バカなことをしでかしてしまう。物語の中で再会する痛ましさは、個人的な記憶と一致するものではないにしても、どこか共鳴して、胸に刺さります。そして、あの時、ああするべきだった、という後悔ばかりが浮かんでくるのです。この物語には、子ども心に芽生えた、たくさんの気まずい感覚がアーカイブされています。万事、力が足らなかったのだと思います。世の中にあふれるままならなさを、子どもが受け止めようとすれば、容量オーバーになるに決まっています。くちびるを噛み締め、こぶしを握りしめるしかない。自分の過去を振り返り、もっとうまくできたのではないかとばかり考えながらも、今、物語の中で奮闘する安子を見ていると、それでいいんだよ、と全面的に肯定したくなります。後悔してこその子ども時代なんだからさ、なんて思うのは不思議ですね。