きいてほしいの、あたしのこと

ウィン・ディキシーのいた夏
Because of WinnーDixie.

出 版 社: ポプラ社 

著     者: ケイト・ディカミロ

翻 訳 者: 片岡しのぶ

発 行 年: 2002年12月


きいてほしいの、あたしのこと  紹介と感想 >
話したいことが、たくさんあるの。だけれど、パパは聞いてくれない。牧師のパパは教会のことばかり考えている。だから、心の中ではパパのことを「牧師さん」と呼ぶんだ。ちいさな時に私を置いて出て行ってしまったママのことも、パパはなかなか話してくれない。パパは寂しくなかったのかな、ママがいなくなって。ママはどんな人だったんだろう。やっとパパから聞き出した10のことがら。走るのが速くて、髪が赤く、そばかすがある。十歳のオパールは、自分とお母さんの似ているところを知って嬉しくなります。そして、ママが自分をかわいがっていてくれたことも。同じ年頃の子どもとつきあうのがヘタで、なかなか友だちができない。教会の子だから、さけられているのかな。そんなオパールが、マーケットで出会った犬。どうやら迷い犬らしい。マーケットの名称、ウィン・デキシーをそのまま名前にして、オパールは、この犬と暮らしはじめます。このフロリダ州の小さな町に越してきてから、ちょっと寂しい思いをしていたオパールはウィン・デキシーとともに、この夏を過ごしていきます。寂しがりやのウィン・デキシーは、思わぬ人たちと、オパールを出会わせてくれました。町の図書館館長のミス・フラー。子どもたちから魔女と呼ばれて恐れられているグロリアさん。アルバイトをすることになったペットショップの店の店長、オティスさんは、警察につかまったことがあるともいいます。話したいことを話せる個性的な大人たちとの会話を通じて、インディアは新しい世界を知っていきます。

ミス・フラニーのひいお祖父さんリトマス・W・ブロックが発明したキャンディには、「なげき」の味がこめられていました。戦争でみなしごになったリトマスは、甘くて、悲しい、ふしぎな味のキャンディを販売しました。「なげき」の味は、子どもにはわからない。オパールは、自分だけは「なげき」の味がわかると思っていました。でも、自分のほかにも、このキャンディの味がわかる子がいたのです。弟を事故でなくしたアマンダのことを知り、オパールは胸に痛みを覚えます。人前でギターを弾くことができなくなってしまったオティスさん。誰もが寂しい心を抱えている。そして、パパも。ママがいなくなってしまったことを、なんとも思っていないような牧師さん。でも、本当は、パパの心にも悲しみはいっぱいつまっていたのです。オパールは、ウィン・デキシーのいた夏、多くのことを知りました。人の心に寄り添って一緒に過ごすこと、悲しみはあるけれど、支えあい、一緒に歌い、微笑みをわかちあうこと。元気なオパールが健やかに、周囲の人たちへの慈しみの心を育てていく、素敵な物語です。

泣く大人。よっぽどのことです。なかなか人前で泣けるものではありません。沈黙のうちに、悲しみに耐えているのが大人です。心に刻まれた傷は、いつまでも痛み続けるのでしょうが、穏やかに微笑むことで、中和しているのかも知れません。僕も自分の父親が泣いているところを見たことがあります。二回だけ。子どもたちの前で泣くなんて、あの時は、本当に、辛かったのだと思います。シンシア・カドハタの『きらきら』の中で、お父さんが、子どもの死に際して、押し殺しきれない激しい怒りと悲しみを見せてしまう場面があります。子どものように泣きじゃくる大人。抑え切れなかった奔流のような悲しみの発露には打たれてしまうものです。そういえば、僕も子どもの頃は、ちょっと傷つけられると、すぐ泣いてしまうような子だったのです。いつの間に泣かなくなっていたことに気がつきました。涙腺のコントロールはできるようになっても、感情は溢れているものなのかな。体じゅうを震わせて泣きじゃくるパパを、オパールは抱き寄せて、ゆらりゆらりと二人で揺れています。こらえていた悲しみ。誰にも見せない悲しみがある。それを、きいてあげること。十歳の少女オパールが、人の悲しみを知り、心を添わせていくことの大切さに気づく、温かさにあふれた素敵な作品です(映画化もされているようです)。

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